南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

シェークスピア ソネット 96

 

ソネット 96

 

       W.シェークスピア

 

 

あなたの短所は若さだと言う者も、放蕩だと言う者もいる

あなたの長所は若さと気品のある遊びだと言う者もいる

多かれ少なかれ長所も短所も愛される

あなたは短所もまた自らの長所に変えてしまう、

王座に就いた女王の指にはめれば

ひどく安っぽい宝石さえ高価に見えるだろう

あなたに見受けられる過ちもまたそのように

真実と受け止められ、事実だとみなされる、

狼が羊のように変装できるとしたら

冷酷な狼はどれほど多くの羊を裏切るだろう

あなたが持っているあらゆる種類の力を駆使するとしたら

どれほど多くの賛美者の目を欺くことになるだろうか、

だがあなたはそんなことをしてはいけない

あなたはわたしのものであり あなたの評判のよさもわたしと一体だ

わたしはそんなふうにあなたを愛しているのだから。

 

 

Sonnet XCVI

 

         W. Shakespeare

 

Some say thy fault is youth, some wantonness;

Some say thy grace is youth and gentle sport;

Both grace and faults are lov'd of more and less:

Thou mak'st faults graces that to thee resort.

As on the finger of a throned queen

The basest jewel will be well esteem'd,

So are those errors that in thee are seen

To truths translated, and for true things deem'd.

How many lambs might the stern wolf betray,

If like a lamb he could his looks translate!

How many gazers mightst thou lead away,

If thou wouldst use the strength of all thy state!

   But do not so, I love thee in such sort,

   As thou being mine, mine is thy good report.

オプティミスト(57577系短詩)

 

オプティミスト(57577系短詩)

 

               南原充士

 

 

空間の 脱ぎ替わりこそ 時間なら 巨大な皮を 剥ぎ取る鋏

 

いつのまに いらつくひとは だれだろう 鏡を見れば 見知らぬ顔よ

 

わけもなく 大声を出し おどろいて 気まずくなれば 居場所に困る

 

いくたびも 痛切に知る 愚かさよ 開き直って 落語の時間

 

こもりつつ おいしい たのしい うれしい おもしろい きもちいい すがすがしいとかのとき

 

起きる 顔洗う 歯を磨く 髭を剃る TVを見る

食事する 休息する PCを開く 新聞を読む 体操する

メールする 電話する 散歩する 買い物する FMを聴く

食事する 入浴する 寝る

 

こんなこと そんなこととか あんなこと こんなときにも あんなときにも

 

なにごとも ないかのような 今日の日は 奇跡に近い 特別な日と

 

不都合や 不自由来たり 急病や 失業貧困 放浪の危機

 

予測など できぬ天気の 気まぐれに 翻弄されて 浮かぶ笹舟

 

なにごとも 修練の道 急坂を 登らずしては 奥義に至らず

 

言葉より 行為をみよと 知るはずも 言葉を送る 行為は見えず

 

短冊も 心の中で とりどりの 願いを記し 吊るす七夕

 

はかなさを 繰り返し知る 人の世に 天の眼差し 瞬き続ける

 

きみあなた そちらのひとも あのひとも 同じ喜び 憂いに生きる

 

いかにして 楽天的に 過ごせるか 雨天の彼方 星に願いを

 

ほとんどは 遠く離れて 暮らしつつ 近い同士も 近寄りがたし

 

強面か 柔和な面かに 関わらず ひとなつこさを 隠すにあらず

 

ああ今日も なにごともなく 過ぎゆけば これ以上ない 幸福と知る

 

心情の うつろいやすく はかなければ 強気の言は ためらわず吐く

 

ともにあり ともに生き行く ひとあれば 手をとりあって 星を見上げる

 

毒舌と 言われてみれば そうかもね 今日からきつい 言葉は吐かぬと

 

誓っても 一晩寝れば 元通り そんな愚かな 自分を叱る

 

惻隠の 思いを胸に 身を振れば 濁れる灰汁の 零れ落ち行く

 

スキンシップ 失われゆく 淡薄の 時代となれば 心は砂漠

 

濃厚の 反対語とは 淡薄と 記してみれば 文字薄れゆく

 

コロナ来て 触れ合うことも ままならず 夢幻か うすばかげろう

 

荒れ模様 負けずに心 整えて 体に力 みなぎらせよう

 

胸苦し 言葉もなくて 黙祷す 瞼に浮かぶ 古今の地獄絵

 

そういえば 自分勝手な ひとばかり それが憂き世を 生きる術だと

 

いいひとの ふりをしなけりゃ 生きられぬ あれこれ迷い 困る振りして

 

そもそもが 善悪正邪の 複合体 何を言うのか なにをするのか

 

われもまた 一自由人 奔放に 生きていいよと 託宣聞こゆ

 

降りてこい 神に似たひと 透明な 天女を連れて ここにたゆたえ

 

くりかえし 襲い来る鬱 振り払う ピエロとなりて 世間を巡る

 

今日の日は 楽観の日と 決めたから なにがあっても スマイル消さぬ

 

昨日より 空を仰いだ 生き方へ 変えたと言えば 今日もふんばる

 

らんらんと 歩いてゆけば ドーパミン 会って話して 飲んで歌えば

 

ちくちくと 陰口悪口 きかないと 決めればふしぎ 心晴れ行く

 

そののちに 白い雲間に 夕陽の 白く輝く 西空を見る

 

できるだけ 身近なところ 見聞きして 触ってみれば 考え浮かぶ

 

感覚を 使ってみれば 脳細胞 目覚めて動く 喜悦の軸索

 

助走路を 軽く走れば 身は軽く 浮いて飛んでく オプティミスト

「詩の評価」

 自分なりに考え抜いて詩のテーマを見出し、それをとらえる自分なりの視点も見つけて、これ以上ないと思われる技巧を凝らして一篇の詩を書き上げ、さらに何度も推敲を重ねて完成したと思える詩について、どのような評価が得られるかは気になるところである。

 詩はなかなか客観的な評価をするのが難しい。そこで読者ごとのかなり主観的な評価がなされる。いいか悪いか決定的な材料はない。いいと言ってくれる読者が多いかどうかとか、どういう点がよいかを指摘してくれたかとか、逆にあまりいいと思わなかったとか、どんな点に問題や不満を感じたかとかの指摘があったとかを自分なりに受け止めるほかないのである。

  ある程度信頼度の高い評価としては、詩誌の投稿欄ですぐれた選者に読まれる機会や詩集の各種の賞に応募してすぐれた選考委員による審査を受ける機会などがあるだろう。

  また、詩の仲間との合評会とか、詩の教室での感想とか、詩誌や詩集を送ったことに対する相手からの感想なども参考になる。

  いろいろな評価を真摯に受け止めそれをどのように受け入れたり受け入れなかったりするのは書き手のみが主体的に決定すべきものだ。

  小説でもあるいは音楽や美術でも芸術分野については似たような状況にあるだろう。

 それらの評価は概してどこかもやもやしてあいまいな感じが払拭できないのではないだろうか?

  ひとつのアイデアとしては、評価基準を作成して読者がそれぞれに点数をつけてみることである。フィギュアスケートでは芸術点と技術点がつけられるが、詩に同じ手法を当てはめるのは難しいだろう。ただ、たとえば、以下の10項目について各項目10点満点(全体で100点満点)で点数を付けて合計点数を出してみたら面白くはないだろうか?

 

 1.詩のテーマや視点に独自性があるか?

 2.詩のテーマと文体とがマッチしているか?

 3.詩の長さが適当か?

 4.詩の展開が巧みか(起承転結とか)?

 5.詩の言葉に過不足がないか?

 6.詩の比喩は巧みか?

 7.詩の中に何らかの意外性があるか?

 8.詩が感動を与える度合いは高いか?

 9.詩の特色が生かされているか(抒情、叙事、ロマンティシズム、ユーモア、ホラー、ナンセンス、言葉遊び、日常、幻想、個人、社会、死生観、宇宙その他)

10.詩としての表現技術が全体としてすぐれているか?

 

 ある詩について、読者によってつける点数に差があるだろうから、その違いをもとにいろいろ議論を交わす材料を与えることにもなるだろう。

  詩の評価については意外と未開な部分も多いと思われるので、新たな評価手法が提案されると詩の進歩にも役立つと思うのだが・・・。

 

 

詩のテーマ

詩の技術がなければいい詩は書けない。

ではなにを書いたらよいのか?という疑問が湧いてくるのは当然だ。

詩のテーマはなんでもよいしひとそれぞれ書きたいことを書けばよい。

喜怒哀楽のいずれの感情を主とするかとか、抒情性を強く打ち出すか

理屈っぽさを前面にだすかとか、日常茶飯事を取り上げるかもっと広い視野から世界を

とらえるかとか、生老病死をシリアスにとらえるかユーモラスに描くかとか、

恋愛をロマンティックに描くかエロティックに描くかとか、リアリズムに徹するか

フィクションを活用するかとか、ナンセンスや言葉遊びを駆使するかとか、

長い作品か短い作品かとか、さまざまな知識や経験を組み込むかどうかどうかとか、

他の作品を引用するとか、なにを書くかを考えていけば、表現技術の選択と一体化してしまうことに気が付く。

また、書きたいことが明確になってから書き始めることもあれば、書きながら作品ができあがってくる場合もある。

書き始めるきっかけや書き方はひとそれぞれかもしれない。

そうして書きあがった詩を書いた本人が読み返して出来栄えを厳しくチェックし、必要に応じて手直しをする。場合によってはしばらく寝かせておいて、折に触れて手を入れる。

やがてこれでよいと本人が納得した作品を、ブログとかネットとか合評会とか勉強会とか詩誌とか詩集に発表する機会が来る。評価はよかったり悪かったり何もなかったりするだろう。そういうことも踏まえてその後の詩作にいそしむことになるだろう。

どんな詩が読み手の心に届き、動かしたのかをしっかりと把握することは、詩のテーマと技術を総合して結実させる詩作品を進化させるうえで極めて重要なことだろうと思う。

ただ、書こうとする詩が読者の心をとらえるかどうかを気にするあまり、書くことにブレーキをかけるのは得策ではない場合が多いだろう。

なぜなら、書こうとする勢いはとても大切なのでとりあえず勢いに任せて書いてしまうこともあってよいと思う。書き上げた後で読み返して推敲を加えて修正をする余地があるからだ。

そして、ひとつ忘れてはならないのは、書いた詩をすべて発表する必要はないということだ。どんなに力を込めて書いたとしても出来上がりがよいとは限らないし、読者の共感を得られにくいと感じた場合は、発表しないでおくというのが賢明だ。

詩の客観的な評価はきわめて難しいことだ。

詩の評価をいかにするかを学ぶために有効な方法は、すぐれた詩人の詩から学ぶことだ。

たとえば、谷川俊太郎の詩をよむことで、

①どんなテーマで詩を書いているか。

➁同じテーマでも着眼点に意外性があっておもしろいのではないか。

➂要は、テーマを選ぶ際に非凡な視点を持てるかどうか?

➃さりげなくさまざな表現技術を使っているのではないか?。

➄読者を惹きつけるテーマを独自の視点から選び詩の技術を可能な限り駆使して

おもしろみのある詩に仕上げているのではないか?

その他詩の核心となることを学ぶことができると思う。

 

 

詩の技術

 詩は言葉の技術の極致と言えるが、その技術の高さは一読しただけでは読み取りにくい。特に谷川俊太郎のようにわかりやすい詩を読むとそこに高度な言語技術が駆使されていることに気づきにくい。

 詩の技術の核心は比喩である。なぜ比喩かと言えば、詩は身体と精神の交感の中に生まれるからである。言葉がフィジカルとメタフィジカルの相互作用として表現されるには比喩による身体と精神のメタモルフォーゼが必要なのだ。この変容はイメージが飛躍することで可能になる。詩の技術は比喩を中核としてさまざまなテクニックの総体としてとらえることができる。たとえば、直喩と暗喩、引喩、換喩、類似と対比、リズム、抒情と叙事、リフレイン、起承転結、序破急オノマトペ、言葉遊び、ユーモア、ホラー、喜劇と悲劇、教養、知識、科学、宇宙、死生観、生理、歴史、芸術、日本的なもの、伝統、その他もろもろの要素を素材として活用する言語技術ということである。

すぐれた詩はただ読むだけで感動を与える。七面倒くさい技術論など気にしなくても鑑賞できる。だが、さらに深く読みこもうとすれば技術を分析することが必要である。

とりわけ詩を書くときには技術を意識する必要があるし、技術を向上させるためにはきちんとした評価と修練が求められる。

レトリック(修辞)は小手先のわざだとして軽視されることもあるが、レトリックは言語技術の粋であるから、これを重視しなければ優れた詩は書けないのである。

 

詩を書く→詩を読む→詩を批評する→詩の言語技術を分析する→詩の技術を学習する→また詩を書く→詩を読む→(以上を繰り返す)

 

以上のようなサイクルが大切だと思う。

シェークスピア ソネット 95

 

ソネット 95

 


              W. シェークスピア 

 
                   

あなたは不名誉さえそんなにも甘く愛らしいものに変えてしまう!
不名誉は香しいバラにとりつく病弊のように
世に知られつつあるあなたの名声を損なうものなのだが
おお、あなたはどんな甘味の中にあなたの罪を封じ込めようとするのだろう?
あなたの遊興について淫らなコメントを付しながら
これまでのあなたの来し方について語ろうとする者も
ある種の称賛のかたちでしか貶めることができない
あなたの名前を口にすれば悪い評判さえ祝福に変わってしまう、
おお、それらの悪徳はどんな邸を手に入れたのだろう?
それらはその住まいとしてあなたを選んだのだ
そこでは美しいヴェールがあらゆる染みを隠してくれるし、
目が見ることができる物はすべて美しく変えられる。
あなたは、この大きな特権を大切にすべきだ!
最も硬いナイフさえ使い方を誤れば刃がこぼれるのだから。

 

Sonnet XCV

 

        W. Shakespeare

 

How sweet and lovely dost thou make the shame
Which, like a canker in the fragrant rose,
Doth spot the beauty of thy budding name!
O! in what sweets dost thou thy sins enclose.
That tongue that tells the story of thy days,
Making lascivious comments on thy sport,
Cannot dispraise, but in a kind of praise;
Naming thy name blesses an ill report.
O! what a mansion have those vices got
Which for their habitation chose out thee,
Where beauty's veil doth cover every blot
And all things turns to fair that eyes can see!
Take heed, dear heart, of this large privilege;
The hardest knife ill-used doth lose his edge.

『達磨』(57577系短詩)

 

        達 磨

 

                   南原充士

 

巣篭りて みんな自分に 向き合えば 告白気味の つぶやき増える

そのへんに 光が射すを 喜びて このへんにいる 日陰のだれか

羨みも 妬みもあれど 吹き払い 達磨となりて 端然と座す

こころには いやしき邪気の 住まいいて うらやみねたみ 嫉妬を煽る

船頭は 長き掉さし 漕ぎ行けり 流れ激しき 難所を越えて

できうれば 笑いを誘う ツイートを 書いて読みたい 巣ごもりのとき

気が付けば ツイートするを クリックす みな慰みの 指のしわざか

生息の 領分せまし 隠れ家に 漏れ来る光 掌に盛る

信じてる 信じていない ゆらめきの 幻影われを 疎んずるとも

当惑の 扉を前に 立ち尽くす 一瞬の後 引き下がる影

そこよりは すべてを捨てて 持たざるの 自分となりて 機嫌よく生く