南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

詩の技術

 詩は言葉の技術の極致と言えるが、その技術の高さは一読しただけでは読み取りにくい。特に谷川俊太郎のようにわかりやすい詩を読むとそこに高度な言語技術が駆使されていることに気づきにくい。

 詩の技術の核心は比喩である。なぜ比喩かと言えば、詩は身体と精神の交感の中に生まれるからである。言葉がフィジカルとメタフィジカルの相互作用として表現されるには比喩による身体と精神のメタモルフォーゼが必要なのだ。この変容はイメージが飛躍することで可能になる。詩の技術は比喩を中核としてさまざまなテクニックの総体としてとらえることができる。たとえば、直喩と暗喩、引喩、換喩、類似と対比、リズム、抒情と叙事、リフレイン、起承転結、序破急オノマトペ、言葉遊び、ユーモア、ホラー、喜劇と悲劇、教養、知識、科学、宇宙、死生観、生理、歴史、芸術、日本的なもの、伝統、その他もろもろの要素を素材として活用する言語技術ということである。

すぐれた詩はただ読むだけで感動を与える。七面倒くさい技術論など気にしなくても鑑賞できる。だが、さらに深く読みこもうとすれば技術を分析することが必要である。

とりわけ詩を書くときには技術を意識する必要があるし、技術を向上させるためにはきちんとした評価と修練が求められる。

レトリック(修辞)は小手先のわざだとして軽視されることもあるが、レトリックは言語技術の粋であるから、これを重視しなければ優れた詩は書けないのである。

 

詩を書く→詩を読む→詩を批評する→詩の言語技術を分析する→詩の技術を学習する→また詩を書く→詩を読む→(以上を繰り返す)

 

以上のようなサイクルが大切だと思う。