南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『精神の自由の確保』(価Ⅲ=27)

     
     『 精神の自由の確保 』

                                価値観の研究第三部 その27

1.さまざまな価値観を有する個人、地域、社会、国家等がこの地球上には存在するが、それらがいかにして価値観の多様性を相互に認め合い尊重し合い平和的に共存共栄しうるかということが価値観の研究の最大のテーマである。

2.価値観は多様だが、価値観が形成されるプロセスも多様であり、複雑である。親兄弟や地域住民、学校の先生、職場の同僚、友人知人等の影響も無視できない。
 たとえば、最近の大きなテーマである原子力発電所の建設や稼働を認めるべきかということについては、国民の間で大きく意見が分かれている。
 このように重大で複雑な問題について自分なりの考えや態度を決めるのはやさしいことではないが、どのようにして自分の意見を持つべきかということは一般論として議論するのが難しい。
 しかし、大小さまざまな課題がるときに、個々の課題についてきちんと考えを整理しようとする努力はたいせつだ。場合によっては、忙しいとか興味がないとかで、自分なりの意見を持つことを放棄するひとびともありうるだろうが。
 人生を有意義に生きたいと思う時、限られた時間をいかに有効に使うかは重大事であり、ひとそれぞれに重要な事柄は違うだろうし、それはやむをえないことだろう。
 「地震国である日本に原発を作り稼働させることにはそもそも無理がある」という意見から「エネルギー資源の乏しい日本が世界で生き延びていくには英知を結集して安全な原発を建設稼働させる必要がある」という意見まで、幅広い意見がある。それぞれの論拠を十分に吟味したうえで最後は政府が決断すべき問題だと思う。

3.多くのひとびとは、平和を愛し、安全で豊かな暮らしを望むだろう。だが、それをどのように実現するかの方法論は千差万別だ。だが、いかなる方法論をとろうとも、虚心坦懐に、現実を見つめ多くの意見に耳を傾けた上で判断すべきである。はじめから、「反対だ」と決めつけたのでは、まともな議論にはならない。右翼だとか左翼だとか、権力だとか反権力だとかいうのが好きな連中もいるが、そんなレッテルを張っても問題は正確に見えては来ない。自分の眼で見て自分の頭で考えて結論を出すべきだ。そのあとは自分の意見の反映に努めて、実現すればよし、実現しなければとりあえずその結果に従う。同時に、次の機会に向けて自分の意見を反映させるための準備を進めるということだろう。
 常に偏見から自由になり、誠心誠意、科学的なアプローチをして客観的な判断を下すことが重要だ。
 個人レベルで、また集団レベルで、国家レベルで、世界レベルで、精神の自由が確保されることが望まれる。