南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『 遺族の立場 』(価Ⅲ=28)

  

           『 遺族の立場 』

                                価値観の研究第三部その28


1.自分が死を迎えるという観点から縷々述べてきたが、遺族の心身のダメージもまた甚大であり、どのように考えたらいいかを整理しておくことには大きな意義があるだろう。

2.遺族と言っても、さまざまなケースがありうる。たとえば、年齢的に成人して経済的に独立しているような場合なら、悲しみを癒すことが最重要課題だろう。遺産相続というような手続きはあるにしても。

 問題は、遺族に未成年がいて、経済的に苦境に陥るというような場合だ。
 たとえば、父親が若くして亡くなり、母親にも収入がなく、遺産もなく、援助してくれる親戚もいないというようなケースでは、自助努力は選択肢としてあるものの、最終的には、公的な生活保護に頼るということになるだろう。

3.自分が死んだ場合に愛する遺族が苦境に陥らないような備えがあることが望ましいと言えよう。生命保険は有力な方法だろう。専業主婦もまた、まさかの時のために働けるような資格や技能を身に着けておければベターである。人それぞれにいろいろな事情があるだろうから、そう簡単にはいかないだろうが。

4.それなりの財産がある人間がある程度の年齢になれば、遺族が財産相続で争わないようにしておくための準備もしておくのが望ましいだろう。遺書を書き残しておくということは重要なことだと言えよう。

5.自分がなんらかの事情で植物人間になったり、機器の力で延命措置が取られている場合に、法的に許される範囲で死を選択するという意思を明確に表明しておくのも一法だろう。

6.葬儀や埋葬、遺品の処分等についても意思を明確にしておくのもよいことかもしれない。ただし、遺族がどれぐらいそれを守れるかは、その家族をめぐる諸事情や環境によるものと思われるが。

7.要するに、死は誰にでもいつでもやってくる可能性がある以上、死を前提にした対応策をあらかじめ用意しておくことは推奨されるべきだろう。