南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧

五月の終わりに

五月の終わりに 南原充士 五月の最終日と思えば暦が瞼に浮かんでくる六月へとめくられる景色しとどコロナを濡らす梅雨距離を保たなければ七月は来ない夜空を見上げれば満ち欠けする月じっととどまる八月 動き始める九月油断なく過ごす十月第二波、第三波を警…

シェークスピア ソネット 90

ソネット 90 W.シェークスピア それならお好きな時にいつでもなんなら今でもわたしを嫌いになってもいいのですよ今、世間の人々がわたしの行いを悪しざまに言いたがる時に意地悪な運命の女神に同調して、わたしを平伏させればいいのですただし、後で損を被…

途中

水平線の向こうを想像する 空の消えゆく先を想像する 記憶のうすれゆく縁を想像する かすかな風の音が途切れる丘陵を想像する すれ違ったひとのマスクを外した顔を想像する 窓辺に訪れたのはハクセキレイだったと想像する 走り去っていったのははだれの飼い…

危機

危 機 南原充士 外の景色を見ていると、時空のゆらぎは見えないが、心の揺らぎは感じる。子供たちが遊んでいるのを見ていると、自分の影は見えないが、未来を感じる。ひとりひとりの顔は見えないが、夥しい人々がこの世界に生きていることを想像する。どんな…

2020南原充士プロフィール

南原充士(なんばら・じゅうし) 1949(昭和24)年2月7日生、茨城県日立市出身1972(昭和47)年3月 東京大学法学部卒 日本詩人クラブ会員 詩、小説、575系短詩、57577系短詩、英詩翻訳、評論、エッセイ等幅広く手掛けていますのでどれかひとつでも…

ドッジボール

ドッジボール 南原充士 どっちみち当てるか当てられるかだ癖球をかわし速球をかわし上手くいけばナイスキャッチ波のように寄せては引いてどっちもどっちだ最後のひとりがかわしそこねる鈍重なのは情けない土性骨の座った燕小僧を味方に入れて今度こそ勝ちだ…

ヒタヒタ

ヒタヒタ 南原充士 何かが追いかけてくるヒタヒタ 急ぎ足になるヒタヒタ 道を曲がるヒタヒタ 無人小屋を突っ切るヒタヒタ 川を渡るヒタヒタ 丘を越えるヒタヒタ 谷底に落ちるヒタヒタ 地中に埋もれるヒタヒタ 正体不明だヒタヒタ 遡ってみるヒタヒタ 出発地…

シェークスピア ソネット 89

ソネット 89 W.シェークスピア もしあなたがなにかわたしのした過ちのためにわたしを見捨てることがあるとしたらわたしはその仕打ちについてじっくりと考えるだろうわたしの詩がお粗末だとあなたが言えばわたしはそのように書くだろうあなたが挙げる理由に…

風薫る

風薫る 我が里に つつじうぐいす ハナミズキ 月影冴える 八十八夜つまらない けんかをしては かえりみる おろかなじぶん かわりはしない すくなくも おろかであると しったうえ けんかをさける かしこさをしる けんかする パターンをしり あらかじめ あやう…

The Environment

I try to harmonize the change of the weather with going up and down of my feelings.A living body of mine consists of the body, mind and environment roughly speaking.A person is to blame for his or her vulnerabilityBut the weather is not in…

環境

環 境 天気がめまぐるしく変わるのを気持ちの浮き沈みと合わせてみる。わたしという生命体をおおざっぱにとらえてみれば体と心と環境だろうか?人は感情の起伏を責められるが天気は責任を問われない。あなたがわたしの環境であるようにわたしはあなたの環境…

夏の日は輝く

五月の暦さえめくりそこねていたのに 急激な気温の上昇は夏が来たことを肌で知らせる 家にばかりいるので自分自身には変化が少ないから ちょっとしたことが強烈な印象を与える 想像力は小さくなっていき 創造力は涸れてしまいそうだ 理屈をこねた口にお仕置…

どんなときも

どんなときも かわいくないひとと いつだって あいされるひととどちらかといえば すかれるひととどっちにしても かわりのないひとわらえるか なけるか ずっこけるかだれのせいでも ありゃしない

表情筋体操

表情筋体操 南原充士 心配しすぎては神経症になると長い喜劇映画を見始める映画専用チャンネルだけあって見たい作品がいくらでもある 笑うだけ笑って鏡を見ると表情筋がゆるんでいるのに気づくテレビのニュースをちらっと見ると病院に運び込まれる患者が映し…