『 死の社会性 』(価Ⅲ=19)
『 死の社会性 』
価値観の研究第三部 その19
1.死は個人のものだが、死の社会的な関わりは無視できないものだと思う。
それは生と死とをひっくるめた社会性と言えるかもしれない。
生老病死は、すべての段階でなんらかのかたちで他者の助けを得て成り立つ。他者な親や家族も含むが。
つまり人間がひとりきりで生き延びることはほとんど不可能なのが人間社会なのである。野生の動物なら可能かもしれないが。
生まれてから成長し老いて死に至る各段階で人は社会とかかわりを持つ。
死について言えば、たとえば、葬儀、法要、何回忌、墓参りといったしきたりがあり、遺族をはじめとする縁者がかかわってくる。
そうしたしきたりを無視することは実際上きわめてむずかしい。それこそ村八分を覚悟しなければならないだろう。
2. 天才とか有名人とかを除けばほとんどの死者は時間の経過とともに忘れられていくだろうが、不名誉なレッテルを張られた死者はなかなか忘れてもらえないかもしれない。死後のことだから死者本人とはかかわりがないものの、遺族など関係者には大きな影響を及ぼし続けるだろう。
人間は生きているときに自分の死後のことを考えて行動することはあまりないだろうが、遺族に迷惑をかけないようにしたいと思う者は少なくないだろう。
死後に名声が高まるという例もあるが、そういう願いを胸に臨終を迎える人間はあまり多いとは思えない。
死は死者の歴史を通じて人間の社会においてかたちを与えられる。
言い換えれば、生者が、それぞれの社会の固有のかたちで、死を取り扱うのだと思う。