南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『良識ある人』(価Ⅲ=47)

 

           『良識ある人』  

                                価値観の研究 第三部 その47


1. 世の中では日々なにかしらの事件事故が起きる。個人レベルでもいろいろな出来事が発生する。その都度なんらかの 状況判断と行動を求められる。自分が信頼できる判断と行動をする人間がいると頼もしく思える。

2. 社会にはさまざまなレベルの判断と行動が混在している。
  たとえば、自分自身の日常生活でのこまごまとした事柄、家族にかかわるさまざまな事柄、隣近所との関係、学校や会社に おける行動、買い物に係わる決断など自分に身近な事柄から、テレビや新聞で報じられる事柄に対する自分なりの見方などある 程度以上自分と距離がある事柄まで、千差万別の判断と行動がありうるが、それらのかなりのパーセンテージにおいて的確な判 断であり行動であると認められる人物がいれば安心だろう。

3. 特に、重要で判断が困難な問題について明確なアプローチの仕方を示してくれるような人物は、社会的な意味でも重要な 役割を果たしていると言えると思う。
  たとえば、安全保障、原発、防災、環境保護社会保障、経済成長、財政金融、教育研究、その他国家的な課題についてなら、賢明な政治家や行政官、有識者、経営者、などに期待が寄せられるし、研究開発なら研究者や学者に、進路指導なら学校の先生や先輩や家族などに、病気なら医師に、法律的なトラブルなら弁護士などの専門家に、住宅を取得するなら不動産屋に、買い物をするならデパートや専門店などの売り場の店員に、その他さまざまなケースについて知識や経験や利害関係を有する人物が 期待されるだろう。

4. ある事柄について、さまざまな意見がありうるわけだが、先入観なしに現実を見つめて客観的な立場に立つことに努めて、可能な限り中立的な立場から結論を出そうとする姿勢を持つような人物を尊重することが大切だと思う。

5. マスコミをはじめとして、世の中には、批判的な言説を繰り広げることが存在理由である立場もあるので、中立的な立場の人物を見つけることはなかなか容易ではないが、丁寧に探していると、有名無名を問わず、世の中には信頼に足る見方ができるレベルの人材はたしかに見いだせると感じる。
  しばしば、過激なアジテーターに世論は振り回されがちだが、人々は、常に冷静に客観的に中立的に論理的に利害関係や好き嫌いの感情を離れて、物事を観察し判断し行動する態度こそ求められているのではないだろうか?
  そういう人物こそ『良識のある人』と呼びたいと思う。