南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

2023年の詩集評等

 

2023年の詩集評等

 

                 南原充士

                 2023.12.31

 

高橋馨詩集『蔓とイグアナ』。第一部は、詩と写真の組み合わせ、第二部は、自由線画集、第三部はエッセイ『私のダロウェー夫人』。幅広い芸術への造詣や豊富な人生経験を踏まえた、鋭い社会洞察や風刺やエスプリやユーモアが、著者の自由で闊達な精神のありようを示す魅力的な詩集となっている。

 

佐野豊詩集『夢にも思わなかった』。平易な言葉で素直に自分の気持ちを表現しながら着実に感動の核心を掴んでいる。例えば冒頭の「暖のとりかた」では愛するひととひとつのふとんにもぐる様子が実にほほえましく描かれている。詩集名は、父が所有したレコード中の一曲「I never dreamed」からとった。

 

たなかあきみつ詩集『境目、越境』。おそるべき膨大な語彙が自由自在に駆使される。文学、絵画、音楽、写真など広範な芸術家や芸術作品の引用と日常接するニュースや事件の融合が、高踏派と通俗性を独特の詩の世界に結実させている。自分の急病さえ客観的にユーモラスに描く表現力と胆力が半端ない。

 

うめのしとみ詩集『どきんどきん』。ひとが生きることを死ぬこととのつながりとしてとらえて、驚くべき冷静な観察眼とリアルな描写とファンタジックでユーモラスな表現が読者の心を強くとらえる。たとえば「A総合病院地下談話室」の生者と死者の対比はあまりにも強烈で笑うに笑えない。傑作詩集だ。

 

小網恵子詩集『不可解な帽子』。日常の生活の情景がきわめて緻密に抒情的に描かれる。花や自然を愛し家族や友達を大切にしながらも、光は必ず影を伴うことを知っていて、座席に置いてある帽子にも不可解なものを感じたり、空を見上げれば漠然とした不安を感じたりする。水彩画のような珠玉の詩篇群。

 

森田直詩集『乾かない』。日常生活の隙間に入り込む違和感や疎外感や脱力感がふとした拍子に詩の言葉として生まれてくる。人の心の奥深さが意外性に富んだ様々なイメージややるせなさやユーモアとして魅力あふれる詩に結実する。さりげなさの中にぐっと引き付ける趣向が凝らされていて読者は虜になる。

 

中川望詩集『まっすぐな霧の道』。通勤電車で通う日々にふと浮かんでくるイメージがユニークな詩になる。一旦領有が閣議決定された孤島の実在が後に否定された話などさまざまな知識や想像力が駆使されて意外性に富んだストーリーが展開される。亡母がくれた魔法の鏡の話などしゃれた語り口が印象的だ。

 

橘しのぶ詩集『道草』。懐かしい記憶や悲しい思い出が夢想や懐旧を通じて深く心を打つすこし怖い物語に変容する。現実が幻想へ変わることで深い悲しみや辛い記憶を受け止めることができる。豊かな想像力と言葉の表現力が詩と死の繋がりを強く意識させるこの高度の芸術性をもった詩篇へと結実した。

 

近澤有孝詩集『とてもいいもの』。持病をかかえての日常生活は落ち込むことも多いと思うが、様々な出来事や経験を詩に転化することで救いや希望を見出し、更に発展させて読者を喜ばせる物語世界をプレゼントする内容となっている。確かな目と言葉と他者への思いが『とてもいいもの』を創り出している。

 

日原正彦詩集『永遠の立ち話』。日常の情景や出来事や思い出などがきっかけとなってさまざまなイメージや連想が働き時には言葉遊びやオノマトペに発展する。見る事聞く事問いかけや自問自答のような発語。「妻・娘・私」の章はさりげない筆致の中に悲しい過去が蘇って胸が痛む。音楽が聞こえる詩集。

 

犬伏カイ詩集『ぼくのブッダは祈らない』。先祖調べから詩の世界が開かれ、それらは壮大な宇宙的・地史的・人類史的な広がりを持つ時空へと発展していった。叙景からフィクションまで現実を見つめる冷徹な目と想像力溢れる神話的物語まで、作者の思いが強い叫びとなり躍動感に満ちた詩篇へと結実した。

 

今井好子詩集『朝の裏側へ』。様々な日常生活の記憶が無駄のない言葉で的確に描かれる。深い思いがあるのに言葉は抑制が効いていて叫ぶことがない。詩篇もまた整っていて女性らしい美学を貫いている。「地図」に「はり残した/いくつかの断片をのせて/朝の裏側へ/舟は静かに帰っていく」は印象的だ。

 

大工美与詩集『これからは』。高齢化社会を生きる誰にとっても共感を感じる詩集。自身の心臓病を始め父母や家族、友人の闘病や死の様子などが目に浮かぶように描かれている。高齢になっても「丁寧に 丁寧に生きることで/何かが生まれて来る予感がするのです」。その前向きの生き方に拍手を送りたい。

 

吉田義昭詩集『風景病』。高齢化社会を生きる一人の高齢者として現在の心境を率直に述べている。幼いころから現在までの自分の人生を振り返り問い直す。最愛の妻を亡くし親しい友を失って感じる生のはかなさ。科学者や臨床心理士や歌手など多くの顔を持つ著者が総力を挙げて仕上げた画期的な人生詩集。

 

吉田博哉「橋のなまえ」(詩誌「Culvert No.2」)。「浴渡橋、久米路の橋、来るか橋」など橋に係る短い詩が七篇。「橋の工夫」の橋にまつわる奇妙な思い出や夫婦の微妙な感情が風変わりな橋の名前に託して巧みに描かれる。七つの悪夢のような奇談がややホラーの趣もあって強く読者を惹きつける。

 

尾久守侑詩集『Uncovered Therapy』。不条理劇のような情景と登場人物と台詞が斬新な手法で展開される。「いつかいなくなる日のための距離の治療(Uncovered Therapy)」としての詩。精神科医でもある詩人ならではの視点が過去に類例のないポエジーを生み出した。恐るべき才能に驚嘆を禁じえない。

 

田中眞由美詩集『コピー用紙がめくれるので』。新型コロナウイルスが多くの命を奪い人の流れを止めた。そんな中で詩人にも非日常を生きる中でたくさんの出会いと別れが訪れた。ともすれば暗いことばかり起きる身の回りだがさらに地球環境の破壊や戦争が輪をかける。痛切な悲鳴が聞こえるような詩集だ。

 

冨上芳秀詩集『スベリヒユの冷たい夏』。言葉遊びのかげに人間への深い洞察がある。「死への恐怖を回避するものとして詩があり、透きとおった白い肌を持つ美しい女(死)と夜ごと激しくセックスすることで『詩』を書くことができた」。エロティシズムは悲しい人間の性(さが)でもあると見抜いている。

 

武西良和詩集『メモの重し』。著者が故郷和歌山の高畑で農業を営む四季折々の畑の様子や過疎化している近隣のひとびとの暮らしが生き生きと描かれる。詩を生み出す力量は並のレベルではない。「知り合いが亡くなった知らせを受けて記したメモに昨日抜いた細いニンジンを置く」。心憎いまでの巧みさだ。

 

新いきる詩集『死んだ女』。亡夫への思いを繰り返し言葉にすることで救われる未亡人。高齢化社会を迎えて最愛の伴侶を失って一人暮らしを余儀なくされる老人が増えている。素直に自分の心の寂しさを訴え亡夫との思い出や会話を詩として表現することが新たにいきるよすがとなるのだと確信させる好著だ。

 

佐峰存詩集『雲の名前』。湧き出づる雲のようなポエジーを仔細に観察して見えてくるイメージを正確に言葉にしようとするとき、身体感覚、都市空間、スマホ、気象・海象条件、地層、歴史等極めて豊富で多彩な語彙が喚起され、複雑で高度な表現技巧は、超現代詩とでも言える新しい詩の世界を生み出した。

 

小川三郎詩集『忘れられるためのメソッド』。

一見とっつきやすそうだが、よく読むと様々な仕掛けが凝らされていて深く研ぎ澄まされた詩篇であることがわかる。世界認識はニヒリスティックであったり反語的であったりするが、一方で、他者や自然を冷めた目で見ながらも現実をあるがままに受け入れようとする心理もうかがえる。そのアンビバレンツが独特のシュールレアリスティックでユーモラスな表現を生み出しているのだろう。常識的な見方やありふれた表現を超えた意外さや逆説的アプローチが他に類例のないおもしろみと快感を与えてくれる。「忘れられるためのメソッド」とはなにか?そんな難解ささえ読み返すうちにほどよい抵抗感と化すのである。

 

青山かつ子詩集『おじゃんこら』。童心を忘れないのが本物の詩人だろう。実際に耳にした子供たちの言葉や情景が基本となって、大人の観点からの観察や子供の頃の思い出が加えられて独自の子供詩の世界が生まれている。心が和むような詩篇が並ぶ中、特に「虫のたんけん」や「おともだち」に惹かれた。

 

関谷ひいず詩集『月曜日の朝に』。2018年9月、月曜日の朝、下野新聞のしもつけ文芸欄に掲載されていた一篇の現代詩が目に留まり自分も詩の投稿を始めた。同新聞に掲載された詩がまとまったので詩集にまとめたと言う。日常生活をしっかりと見つめてわかりやすい言葉で表現する姿勢に好感が持てる。

 

前野りりえ詩集『サラフィータ』。サラフィータは太宰府をイメージした造語。Ⅰ章は1月から12月までのサラフィータ詩篇。Ⅱ章は時空を超えて奔放に駆け巡る想像力の生みだした多彩な物語詩篇。空想好きの詩人ならではの意外性に富んだフィクションもいいが、経験を踏まえた実感の籠った詩篇もいい。

 

川井麻希詩集『滴る音をかぞえて』。陣痛が来た時に書くことに決めたわが子とのこと。「忘れてしまえば消えるだけの日常」をしっかりと観察して丁寧に言葉に記していこうとする思いが、繊細で驚きに満ちたいのちの営みを精密な絵画や音楽のように記していく。落ち着いた描写が芸術性をより高めている。

 

山田兼士『谷川俊太郎全《詩集》を読む』。昨年亡くなった著者の御夫人と御子息による刊行。谷川俊太郎という偉大な詩人の全詩集をコンパクトに紹介するという画期的な試みはいかにも著者らしい緻密で情熱溢れる努力の賜物で深い感動なしにページを繰ることはできない。改めて著者のご冥福を祈りたい。