南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

小林秀雄のこと

小林秀雄といえば、教科書にも載り、大学入試問題にも使われ、文庫本や全集なども数多く発行されており、わが国文学史上で大きな功績のある評論家であることは言うまでもない。

「無常ということ」「モーツァルト」「ゴッホ」など、きわだってすぐれた評論を残している。
ぼくもかつてなんにんかの評論集を読んだりしたが、多くの評論家は、単調な論調が鼻についたのに対して、小林秀雄は常に新鮮な視点を提供してくれたので飽きることなく読み続けることができた。

晩年、「本居宣長」について、部厚い本を出した。補遺も出した。
けっこう高いお金を払って購入した記憶があるが、円熟した筆致が一級の芸術品の趣を感じさせてくれた。
特に、宣長が、自分の墓についてのデザインを図示したことを紹介したくだりなどは実にユーモラスでシリアスで感心したものだ。(山桜を植えよということで、お墓のまわりに山桜の絵が描いてあった。)

しかしながら、ひっかかる点がなかったと言ったらうそになる。

宣長古事記伝について、書いてあるままに受け止めよ!という部分だ。

いくらなんでもそこまで無批判に書いてるままに受け入れよというのは乱暴だろうと思った記憶がある。
一種のレトリックかもしれないが、今でも腑に落ちていない。

そもそも、小林秀雄は小説家か詩人になりたかったのではないか。
若い頃に実際に書いたこともあるらしいし。

どういうわけか、小説家や詩人としては成功することはなく、評論家として輝かしい成功をおさめた。
私見によれば、小林秀雄には、小説家や詩人へのコンプレックスがあったのではないだろうか?

どんなにすぐれた評論を書こうと、すぐれた小説や詩にはかなわない。
その厳然たる事実を理解していたのだと思う。聡明な小林秀雄のことだから。

中原中也より頭はよくて、女性にももてたかもしれないが、詩人として成功した中原中也には複雑なコンプレックスを抱いていたのではなかろうか?

そういう屈折が、ひょっとして、本居宣長論において、異常とも思われる、「あるがまま」論に固執する姿勢に至らしめたのではないだろうか?

ふと、そんなことを思った。