南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

国家(価値観の研究=その41)

 とりあえず、団体までの価値観のありようについて考えてきたので、次に、価値観の典型的な表れとして、「国家」というものを考えてみたい。

 「国家とはなにか」ということについては、それに関する専門の教科書を参照していただきたい。
 ここでは、そういう基礎知識を前提として、ぼくが考えることを述べたい。

 国家は領土と国民を有する権力の主体だといえるだろう。
 権力は、国家を運営するために不可欠だが、同時に、濫用の危険をはらむ。
 憲法は、そうした過去の教訓を踏まえて制定されたといえるが、制定時の内外の状況にも影響されたはずだ。主権在民の明確化、三権分立戦争放棄基本的人権の保障といったことが眼目だ。

 現在の日本では、権力は、相互にさまざまなチェックを受けるようになっている。
 異議があれば申し立てもできる。訴訟も起こせる。陳情や請願もできる。
 
 権力機構は、憲法に基づき、諸般の法律で規定されている。

 憲法、法律、予算等国家の重要事項は、国会で論議されて、決定される。
 
 国会は国会議員で構成される。
 国会議員は選挙で選ばれる。

 国会の論議を茶番だと思う向きもあるかもしれないが、実は、国家にとって重要なこはここで決められる。したがって、信頼できるレベルの高い国会議員を選ぶことは重要である。

 内閣総理大臣は、国会議員の中からえらばれる。総理は閣僚を選ぶ。内閣は行政権の頂点だが、国会でのチェックを受ける。

 司法もまた、最高裁判所を頂点とした権力組織となっている。

 法律等のルールが制定されても、それを運用する者が適正に業務を行わないと、国民の権利や利益の保障がされない。

 制度を運用する人材の採用、教育、活用が重要な要素のひとつである。

 そして、不適切に制度が運用された場合の処理方針が明確にされることが望ましい。

 たとえば、年金額をあやまって計算した場合の、訂正、補償。

 たとえば、誤認逮捕したときの謝罪や補償。

 たとえば、職員の故意・過失による損害の補償。

 複数の価値観が競争して、ある価値観が公的に採用されると、現場では、とりあえずの指導監督の方向が決まる。

 権力は、根拠が明文化されるので、その限りにおいて価値観の競争には決着が付く。もちろん、問題があれば、改正の機会はありうる。

 国家は国民との関係では、守る面と攻める面とを持つ。さまざまな保護や救済。さまざまな税金や保険料の徴収など。

 国家は、他方、国家間の関係にさらされる。
 外交、貿易、投資、観光、文化、援助、協力、など。

 最悪のケースが戦争だ。

 平和と経済的な繁栄をめざして、さまざまな努力がなされる。
 これも、総理、外務大臣等閣僚が先頭に立つ。

 二国間と多国間の国際関係がある。
 六カ国協議。
 国連等での論議や行動。

 それぞれ対処方針が的確に作られる必要がある。
 それは、いわば「国家としての価値観」の形成といえるだろう。

 国家は個人レベルと同様にとらえることが困難であり、適切ではない面もあるだろう。

 ただ、これまで、「価値観の研究」として、整理してきた議論の方法論は準用できるかもしれない。

 次回もまた、国家について考えてみたいと思っている。