南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

歴史的なアプローチにおける戦争責任論など(価Ⅱ=32)

   
   『歴史的なアプローチにおける戦争責任論など》


 前に、歴史的なアプローチのなかで、法的なアプローチがとりあえず重要だと述べたが、さまざまな判断や行為のうち適法なものについては一応法的責任は追及されないとして、違法だと判断される場合には、その責任をどう考えたらいいのだろうか?

 法律などに違法な行為をした場合の罰則が定められていれば、まずそれによって考えるべきだろう。しかし、戦争は権力者が宣告する性質のものなので、近代国家において、為政者に対して戦争責任を追及する規定は見当たらないかもしれない。

 過去において、日本がまだ統一されていなかった時代における戦争責任についても、明確な法規定があったとは思えず、いわば、ケースバイケースで処理されざるを得なかったのであろう。

 力と力の衝突の結果として、勝ったものが人命や財産を略奪するというような行為が容認されていたケースもあるだろう。

 歴史的に見れば、統一法がない場合は、戦争による決着がつけられた例が多いだろう。
殺戮や略奪や奴隷化などもしばしば行われた。負けたほうが徹底してたたかれ奪われるが、勝者もまたいつわが身におなじような不幸が襲わないともかぎらなかった。その意味では、責任は法というよりは力で果たされたといえるだろう。

 実は、現代社会においてさえ、国による法令の違いでさまざまな問題が生じている。安全保障や警察関係、出入国管理、税関、税金、保険などにはじまり、輸出入、投資などの商取引のほか、雇用、教育、結婚や出生、親子関係、国籍、市民権など公的・私的なさまざまなケースがありうるわけだが、そういうケースごとに法令の適用や解釈が違えば、その調整はややこしい。

 国家間になんらかの約束がなされていれば、それに基づく処理がなされるだろうが、そうでない場合は、結論が出ない場合もありうるだろう。

 戦争や内乱や紛争や領土問題などは、国際的にもきわめて複雑な利害関係があり、法令の適用も難しい場合が多い。国連はあるが、完全な意味での、国際軍でも国際警察でもないので、合法的な戦闘行為がなされているかどうかも、判断が困難なケースも多い。

 ある事象についての法令の存在そのものが明確でない場合や解釈に一致が見られないなど、違法性について十分に論証しえないときには、裁判制度も機能せずに、制裁としての罰則もまた適用が困難になる。

 強制力の不完全と根拠法令の不完全あるいは不存在。そういう現実においては、違法行為を行った者への責任追及もむずかしい。各国や国際機関やマスコミなどそれぞれの立場から、見解を発表することができるだけだろう。

 道義的な責任や社会的な責任は、ある意味では、その社会のそのときどきの国民感情や雰囲気などに影響される。それは、どのような制裁に至るかわからないが、ひとつの責任追及のパターンといえるだろう。

 もうひとつ、忘れてならないのが、革命のことだ。もし法令に違反してでも、社会正義の実現のために、暴力によって権力を奪取してもよいのかどうかということだ。

 マルクスは、抑圧されたプロレタリア階級は、暴力的に権力を奪取しない限り、搾取はなくならないのではないかと考えたようだ。はたして、今でもその考え方があてはまるかどうかは議論がわかれるだろう。

 合法的であっても、反正義だという捕らえ方は、暴力的な革命の本質を表わしている。
正義のための戦争という大義名分もしばしば唱えられる。このように、立場の違いは、自分たちの価値観を援用して、正当化に努める。

 そこでも、互いに責任追及がなされるが、決着はつきにくい。

 このように、法令に基づくアプローチとそれを超えたアプローチでは責任論もまったく異なった様相を呈する。

 それでも、理論的には、なんらかのルールの体系があって、それをベースに問題を処理していこうとする姿勢がなければ、責任論はますますあいまいになって、「力は正義である」という時点から一歩も前進できないと思う。

 「武力」とともに、「正義」を言葉で主張することは古来重要な意義を持ってきたといえよう。だから、「価値観の体系」を明確に言葉で構築しておくことがたいせつなのだとも言えると思う。