南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『 人物の評価 』(価Ⅲ=6)

   

       『 人物の評価 』
                  
                                価値観の研究第三部その6

1.人物の評価ほど難しいものはない。

 一人の人間にはさまざまな要素がある。たとえば、外見、体力、知力、性格、さらには職業、地位、収入、金力、財産、家柄、血筋、交友関係、趣味、特技、資格、影響力などである。
人間関係にもまたさまざまなパターンがある。夫婦、家族、恋愛、友人、知人、同僚、職場、同級生、学校、隣人、地域、グループ、その他。
夫婦や恋人ならば、付き合いは全人格的なものになり、仕事の上の付き合いならば、部分的になりうる。もちろん、仕事や趣味の付き合いでも意気投合して全人格的な付き合いに至ることもある。ケースバイケースである。

2.では、一人の人間の評価は全体として評価することができるだけだろうか?

 好き嫌い、良い悪い、優劣、貴賤、強弱、美醜、敏捷・愚鈍、才能・非才、非凡・平凡、貧富、など単純な二元論で分けてしまえるだろうか?
現実問題として、ひとりの人間をいくつかの要素にわけて、たとえば、頭はいいが、意地悪だとか、お金持ちだがけちだとか、美人だが色気がないとか、貧乏だが気立てがいいとか、ひらめきはないが粘り強いとか、平凡だがうそをつかないとか、いろいろなバリエーションがありうる。
いくつかの要素の組み合わせとしてとらえることができる。
あるひとが自分と政治的な立場が違うがともにゴルフが好きで一緒にプレーしているとしよう。ゴルフをともに楽しめるなら付き合えばよい。
あるひとが他人の批判ばかりするところが気に入らないけれども、頭脳明晰で目からうろこ的なものの見方や情報を提供してくれるなら、その限りにおいてつきあえばよい。
恋愛関係はそうはいかないかもしれない。恋人の顔は好きだが、性格が嫌いというのでは長続きしないだろう。恋人として付き合うには、全体として付き合いえるだけの魅力や価値がないといけないだろう。

3.そのように人物の評価は、人間関係や時と場合によって、使い分けることが賢明だと思われる。かたくなに、嫌いだとか卑怯だとか虫が好かないとか決めつけて、そのひとの持つ長所までも遠ざけてしまうのはもったいない。もちろん、場合によってはある要素が重大な意味を持ち、それによって全人格的な評価もマイナスとせざるを得ないこともあるだろうが、可能な限り切り捨てることは避けたほうがよいと思う。ひとりの人間のさまざまな要素をよく見極めて上手に付き合えるように工夫することも必要だと思う。