南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『人間社会は基本的に不完全であるという認識』(価Ⅲ=その8)

  
  
       『人間社会は基本的に不完全であるという認識』


                               価値観の研究第三部 その8


1.世界が平和であってほしいとか、人権が保障され、自由で民主的で豊かな社会が実現してほしいとか、人種や宗教や性別や貧富や家柄などで不当な差別は受けない社会であってほしいとか、戦争や侵略や殺戮や残虐な行為は行われない世界であってほしいとか、人類はずっと願ってきたことだと思う。
 だが、様々な理由があったにせよ、歴史は常に紛争や残虐行為の繰り返しであったことを示している。
 理想を掲げてそれに向かって進むというのは望ましい姿だが、現実はそう簡単には理想に近づかない。
 最近の世界情勢を見ても、イラクアフガニスタンをはじめ、イスラエルパレスティナその他の地域で紛争が続いている。

2.思うに、これまでも世界平和やさまざまな問題解決のために献身的な努力をし、世界に貢献した偉人は少なくない。永遠平和のためにを著したカントとか無抵抗主義を貫いたガンジーとかそのほかシュヴァイツァーとかマザー・テレサとかマンデラとか。
 世の中には偏狭な考え方を持ち、私利私欲を追求する輩も多数いることは否定しようもないが、平和で安定した社会の実現を願う者が圧倒的に多数だと思う。
 にもかかわらず殺し合いが避けられないという歴史的事実は、人間社会の複雑さを示している。だからといって人類の理想を追求することを放棄すべきではないと思う。理想と現実のギャップの大きさを認識したうえで理想の実現を目指すという辛抱強い態度が望ましいと思う。

3.人類の紛争を顧みるとき解決が最も困難と思われるのは宗教紛争であろう。ブレア―前イギリス首相は、首相退任後の自分の課題は異なる宗教間の相互理解や共存共栄の促進であると表明している。すぐれた人物がこうした貢献をすることを高く評価したいが、可能な限り多くのひとびとがそのような意識を持って問題解決に向けて知恵を出し合い協力することが望まれる。

4.日本というひとつの国の中でさえ、政党間の争いは熾烈であるし、産業間、地域間、その他の利害関係による競争や摩擦は激烈なものがある。
 国民全体の理解と協力なしには日本の未来は開けないだろう。

5.ついでに言えば、個人個人もまた異なる価値観を持ち複雑な利害関係の中におかれるので、個人レベルでの紛争もまた頻発している。そうした問題の解決もまた社会全体のあり方や発展段階や考え方や習慣やルールに関わってくる。
 条約や法律など、個人レベルでは解決できないこともあるが、コミュニティレベルでの問題など個人のかかわり方が大きな役割を果たしうる場合もある。
 それぞれの立場において、理想を追求する姿勢が望ましいことは言うまでもない。

6.以上、人間というものは、個人で見ても、地域で見ても、集団で見ても、国家で見ても、世界全体で見ても、不完全な者同士で構成されているので、不完全であることを前提としてとことん辛抱強く問題解決の努力を続けていくことが必要であり、重要であるということを再認識すべきであると思う。