南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『 表現のほどよさとは? 』(価Ⅲ=22)

  

     『 表現のほどよさとは?』
    
                                価値観の研究第三部 その22

1.人間のコミュニケーションの基本は言葉で伝えることである。
 表情やしぐさや映像等で伝えることもあるが、基本は言葉によるコミュニケーションである。

2.言葉はいつも使っているが、実際はとても難しいものだ。
 余計なことを言って傷つけたり、不愉快な思いや退屈な感じを与えることがあるかと思えば、言葉が足 らなくて相手に自分の意図や思いを正確に伝えることができないこともある。

3.おそらく、言葉を使う人間の性格や生まれ育った環境や自分なりに形成した価値観によって、言葉を どのように発したらよいかという方針が決まるのだろう。
  おしゃべりな人、無口な人、ほどほどのひと、いろいろいるが、必要なことを適時適切に表現できる 人は必ずしも多くはないし、また「適時適切」についての判断もひとそれぞれだから、一概にだれがど うかということを決めつけることも難しい。

4.たとえば、だれかが入院したとしよう。だれに連絡すべきかの判断は難しいだろう。手術の結果を伝 えるのも同様に難しそうだ。連絡をする立場の人間の判断によるということになるだろうが、連絡を受 けるのが当然だと思っている相手に連絡しなかったら、気持ちに食い違いが生じうるだろう。

 
5.契約や規則がない日常生活のさまざまな場面で、上記のようなコミュニケーションの過不足の問題は 頻発する。常識、良識、マナー、気配りといった分野については、言葉による表現のほどよさをどのよ うにして身に着けることができるのだろうか?社会や地域の知恵が求められるだろう。