南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『 なにかのために命を投げ出すということについて 』(価Ⅲ=23)

 

     『 なにかのために命を投げ出すことについて 』


                                価値観の研究第三部 その23


1.死ぬのを恐れる人間が時としてなにかのために命を投げ出すことがある。
 我が国の歴史を見ても、切腹、特攻隊など社会的な強制による場合もあれば、三島由紀夫のように憂国 の情から起こそうとしたクーデターに失敗して自ら死を選んだ例もある。
  外国でも、政治や宗教に殉じる例も多く見られるようになっている。爆
 弾とともに自爆テロを敢行するいわゆる「スーイサイド・ボミング」などは
 典型的な例と言えるだろう。

2.個人的には死を恐れ死を免れたいと思いながら、他方、国家とか社会とか
 宗教とかのために尊い命を犠牲にしてもよいという相反する心理は人間には
 ありうることと言える。
  愛する者のために命がけで戦うという心理の延長線上には、なにか大義
 あれば命を投げ出してもいいと思える人間のふしぎな心情が存在するような
 気がする。
  戦争が勃発するのは、政治的経済的利害の対立が限界を超えてしまっ
 たという場合が多いだろうが、そのような状況においては、愛する家族や仲間のいる国を守るために命 がけで戦うという集団的心理が働きやすいように見える。

3.かたちの見えない人間の心理や感情というものも、ある種のかたちによって影響されるということは 真理だと思える。尊敬する師の言葉に従ったり、法令による強制に従ったりする心理や自分の信念によ る行為やはずみでやってしまう英雄気取りなど実に多くのケースがありそうだ。
  個人の死とは別に、集団の中での死という捉え方も必要な視点だと思える。心理学や社会心理学とい った学問的アプローチも歴史的アプローチに加えて重要な意義を有すると思う。
  犬死を防ぐための知恵は人類全体で取り組む価値のあるテーマであることは言を俟たない。