南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『 歴史認識について 』(価Ⅲ=30)

 

            『 歴史認識について 』

                                 価値観の研究第三部その30

1.日本にとって諸外国との関係は最大の重要性を持っている。特にグローバル化が急速に進みつつある現在の国際社会においてはそう言える。とりわけアジア諸国中でも中国と韓国との関係は特別に重要である。
 地理的に近く隣り合っているという状況は当分変わりようがないので、日中・日韓関係をいかにうまく築いて行けるが、我が国のトップにとって最大の関心事であるだろうし、すべての国民の願うところである。
2.人類の歴史を振り返れば、まさに戦争や内乱の連続であり、裏切りや憎しみの歴史である。時代により地域によりあるいは人種や宗教などにより多様性はあるものの、侵略や略奪の繰り返しであったことは疑いがない。
 法制度についても権力の統一とともに整備が進み実効性も上がってきた。
 国際連合憲章といった国際法や国連軍といった仕組みも導入されて、国際的な秩序維持に向かって各国が協力し合おうという努力も傾けられてきた。
3.平和を願う思いは万人に共通なものなのに、現実にはなぜ争いが減らないのだろうか。永遠の謎であり、避けられない課題なのだと言う気がする。
 特に、太平洋戦争にかかわるさまざまな行為が批判の対象になることが多いので、これを主としてとりあげてみたい。このことについては、すでに多くの歴史学者や戦争体験者や被害者などが膨大な資料収集をし、証言をし、批判をしてきているので、学問的に言えばそれらを踏まえた議論をすべきであろうが、ここでは、現時点における自分なりの感じ方を述べるにとどめたい。
4.歴史はずっとつながっているが、ある時点以降だけを取り出して論じることはいかがなものか?
 日本の敗戦国としての国際法的位置づけは、無条件降伏、占領、東京裁判などを経て、サンフランシスコ講和条約の締結を基本として考えることができるが、日韓間については、日韓基本条約(昭和40年(1965年)締結)、日中間については、日中共同声明(1972年)及び日中平和友好条約(1978年締結)によって明確になっており、たとえばその中で日本に対する賠償金の請求権は放棄されている。
5.国家間においては、以上のように法的な処理がなされているが、それでも追加的な請求や主張がなされることがあり、難しい対応を迫られることになる。
 たとえば、強制連行とか大量虐殺があったかどうかといった事実の有無によって立場が異なってくるようなケースにおいては、いわゆる歴史認識の相違がなかなか埋まらず、容易に解決することは困難である。
 また、民間人による行為によって被害に遭った人々について民間人に対して損害賠償を求めうるかどうかというような議論もなされている。
 6.法的な責任の有無を判断するには、違法な行為がなされたという事実を立証する必要があるが、立場の異なる者同士がどんなに議論をしてもなかなか意見の一致を見ないという現実がある。
 被害者としての意識は、法的なアプローチだけでなく、道義的なアプローチをも求めることになるが、賠償や謝罪といった法的問題や感情問題が絡み合うので容易に解決を見ない。
7.過去の国家間の侵略や植民地化の歴史を振り返れば、先の大戦中に日本が行った行為だけが非難されるのは不公平だという見方もあるだろう。戦後処理は法的な面だけではなく、各国の国民感情や政治情勢などによっても影響を受けるので、戦後長い歳月が経過してもすっきりと処理済みになることは困難だ。特に被害者意識は根強くさまざまなかたちで種々の分野で顔を出すので取り扱いが難しい。
 それでも、不幸な過去を正確にとらえて反省すべきは反省し将来に向かって平和な国際関係の構築に向けて各国が理解し協力し合うことが不可欠だと思う。