南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『 犠牲者の遺族 』(価Ⅲ=31)

 
 
           『 犠牲者の遺族 』

                               価値観の研究第三部 その31
 

1.戦争や災害や事件、事故など人類の歴史には多くの痛ましい出来事があり、その犠牲者も膨大な数に上っている。特に犠牲者の遺族が生存している場合には、その出来事の取り上げ方も注意を要する。

2.たとえば、戦争の犠牲者の遺族がいたとしよう。その戦争について語ることはむずかしい。正義の戦争だとか誤った戦争だったとか意見をたたかわせることさえ、その気持ちを傷つけるおそれがあるとき、根掘り葉掘り話を聞いたり、戦争責任を追及したり、特定の人間を弁護したり批判したりすることは避けたい。

3.真実を求めようとする科学的な態度は必要だが、遺族の立場になれば、ふれられたくないことやあいまいなままにしておいてほしいこともあるだろう。

4.ある出来事の詳細を明らかにしようとしたり、それに関する責任関係を明確にしようとするとき、複雑な人間関係が浮かび上がることがある。当人がそれでよいと言うのならよいが、嫌がっているときには、なんらかの配慮が必要となるだろう。

5.最近における、事件・事故、自然災害などの被害者の遺族ともなれば、心身共に大きなダメージを受けているだろうから、とりあえず立ち直りを支援することがたいせつだろう。

6.それとともに、被害者は、加害者がだれであって、どういう責任を負うのかを追及したくなるだろう。

7.関係者がすべて亡くなってしまっているような過去の出来事なら、それなりに冷静に事実を調べ、事実関係を報告することも、比較的容易だろう。
 しかし、関係者の多くが存命中であるような段階では、それらのひとびとの感情を傷つける恐れがあるかないかをチェックすることが必要だろう。

8.デリケートな立場や感情や意識を持つ人々がいるときも、別途、歴史的な研究は続けられるが、その成果の発表内容や公開範囲やタイミングなどには十分配慮することが必要だと言えるだろう。