南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

田母神、前航空幕僚長の発言について(価Ⅱ=39)

 『 田母神、前空幕長問題について 』

 
 最近、マスコミ等で大きく取り上げられ、話題となっている田母神前航空幕僚長の発言については、さまざまな意見が示されている。

 小生も「価値観の研究」の立場から、かんたんにコメントしておきたい。

 「政府見解」と「自衛隊幹部の見解」は食い違ってはいけないのか?

 時と場合によると思う。また、テーマや発言の仕方にもよる。一概には言えないし、既存の明確なルールもないのではなかろうか?

  したがって、今回の件は、ルールが不明確であるところに、問題の核心が存在すると見たい。

 歴史認識は千差万別であって当然だが、国際関係を考慮すれば、政府の見解の持つ意味は重い。政府高官がそれと相反する発言をする場合は、慎重でなければならないのは常識とも言える。しかし、現実には、確信犯的に発言をし、辞職後も発言の正当性を主張しているというのは異例のことだろう。だからこそ、今回のごたごたの反省の上に立って、きちとしたルール作りを急ぎ、事件の再発を防ぐべきだと思う。

 今後、国会やマスコミや一般社会がどのように追及するかは予断を許さないが、あいまいなルールをもとにいくら責任を追及しようとしても無理がある。まず、違法性の判断が先に来る。次に、道義的責任などが来る。しかし、田母神氏の場合は、正しいと信じて発言しているのだから、それがまちがっていると指摘されるには、根拠となるルールを示せ!ということになるだろう。

 世の中は、すべてのことを想定してルールが作られているわけではない。
 想定外の事態が発生した場合は、可能な限り、既存のルールの範囲で最善の結論を求めるしかないが、完全には対応できないだろう。

 事件や事故が起きるたびに、規制が強化されるという後追いの対応は残念ながら、さまざまな場面に見られる。

 歴史認識があやまっているかどうかの議論はややこしい。
 立場によって発言の意味あいが異なり、責任の生じ方も異なる。それを踏まえて具体的にはどうしたらよいのか? 政府が、そういう常識的・基本的な方針を明らかにすることが当面の急務だろう。

 その次に、田母神氏の発言についての当否をさまざまな立場から検討すればよいと思う。

 たとえば、自衛隊として、防衛省として、政府として、学界として、マスコミとして、一般国民として・・・などなど。

 いずれにしても、「言論の自由」には「公共の福祉」といった観点からの制約があることは常識だ。しかし、心の中で思うことにはなんら制限がないし、制限しようもない。「けしからん」で済ませることは危険だ。自衛隊という大きな組織・集団としての意識や認識がどのような現状にあるかというような社会心理学的なアプローチも必要になると思う。国民全体がこれを重大なテーマだと受け止めて、今後の対応の方向を見出すべきだと思う。