小川三郎詩集『忘れられるためのメソッド』。
一見とっつきやすそうだが、よく読むと様々な仕掛けが凝らされていて深く研ぎ澄まされた詩篇であることがわかる。世界認識はニヒリスティックであったり反語的であったりするが、一方で、他者や自然を冷めた目で見ながらも現実をあるがままに受け入れようとする心理もうかがえる。そのアンビバレンツが独特のシュールレアリスティックでユーモラスな表現を生み出しているのだろう。常識的な見方やありふれた表現を超えた意外さや逆説的アプローチが他に類例のないおもしろみと快感を与えてくれる。「忘れられるためのメソッド」とはなにか?そんな難解ささえ読み返すうちにほどよい抵抗感と化すのである。
以下に、印象的な個所をいくつか引用してみたい。
「幸福がなにかということを
たぶん私は知っている。」(「日課」最終連)
「山も川も枯れきって
空もすっかり
枯れてしまって
そんな景色の中にいるのに
私の心は
どきどきしていた。」(「冬」最終部分)
「蝶は花に顔を突っ込み
何もないのかもしれない
と思っている
その様子を
また別の蝶が見ている。」({連弾}最終部分)
「泥道が乾きはじめ
雨の匂いが消えてしまうと
男は身を起こし
なにもなかったように
家に向かって歩き出す。
私もほっとして
穴に帰る。」(「穴」最終部分)
「世界は誰かが置いていって
ずっとそのままになっている。」(「重要性」中程)
「そして死が
理由なく訪れることを
それをほんとうにできることを
私たちは樹の上に向かって
何度も何度も願ったのだ。」(「樹上」最終部分)
そしてもっとも衝撃的な詩篇は「産卵期」であり、ホラーとブラックユーモアに満ちた母と子の姿は驚くべきで発想と展開と描写で読者に迫ってきて恐ろしささえ感じるほどだ。
「逆さになった母を
手で押してぶらんぶらん揺らす。
すると狂っていたバランスが
遠心力でうまく整い
女優みたいに
きれいな顔の母になる。」
「誰も彼もが羨むような
めくらの親子になれますように
今後も努めてまいります。」(「産卵期」中程)
この詩集を開くと読者はいつのまにかぐいぐいと超絶技巧の小川ワールドへと引き込まれていく。これこそ詩を読む醍醐味を存分に味わえる稀有な一冊だと言えるだろう。