時間論 ⅩⅩⅦ
脳細胞は活発に活動したり休んだりしながら次第に数を減らしていくが
己がだれかの脳であることを刻々と引き継いでいるはずだ
脳は上等の糖分を摂取しないと十分な機能を発揮できない
生体は栄養摂取の仕組みによって入れ替わりながら生命を維持していく
ぐっすりと眠って目覚めれば朝の太陽がまぶしく輝いている
傍らの目覚まし時計を見れば午前六時だ
この生体が八時間眠っている間に時空はどれだけ入れ替わったのだろう
それと同時に生体もまた入れ替わったはずだ
脳細胞が変化する間に時計が進んだ
生体はじっと動かないでいても時計は進む
時空が入れ替わる「変間」と時計の示す「時間」を関係づける式はまだない
百歳の老人が今息を引き取ろうとしている
ゼロ歳から幼児、少年、青年、壮年、老年へと変化した顔写真が
ぱらぱらとめくられるのがもうろうとした脳細胞に映し出される
百年は長かったような気もするしあっと言う間だったような気もする
時間は時計で測られるが
時計で測れない時間があるような気もする
こうして横たわっていると時間はゆっくり進むように感じられる
むしろ時間の衣装を脱ぎ捨てた透明なエネルギーみたいなものが
宇宙の存在をあまねくこね回し変化させ一体的に入れ替わらせているのだと
思えてくる
動きやまない変化の現象は宇宙が持つ性質なのではないだろうか?
仮に「変間」と名付けたその性質は一瞬もとどまることなしに
マクロからミクロまで変化させないものはひとつもなしに
それでいて現在から未来へ向けて
塵ひとつ取りこぼすことなしに
すべてを宇宙船に載せて運んでいくのではないだろうか?
ただし移動しているかどうかは定かではなく
同じ場所で入れ替わるだけというケースもありうるだろう
時計は変間を測れるかどうかはわからないが
とりあえず時計以外に変間をとらえることはできそうもないので
便宜的に時計を用いて変間が測れると信じられているようだ
老人は今自分は天国に行くのか地獄に行くのか
真剣に気にかけている
子供のころから話を聞かされ地獄絵を見せられてきて
脳内には地獄の方が鮮明にイメージが浮かんでくる
意識が薄れて行けば神経快楽物質が分泌され
あらゆる不安は打ち消され幸福感に満たされて
最期をむかえることができるという説もあるが
証人がひとりもいないので軽々に信用はできない
すんなりあの世に行ける保証もない
遺体は灰になり骨になり土になっても
宇宙がある限り宇宙船を下船することはなしに
姿は変わろうとも宇宙の一部として変間を続けていくだろう
空間も時間もこの宇宙の性質であるとすれば
やがて別な宇宙に生まれ変わることがあれば
まったく異なる構造と性質を持った空間や時間やそれ以外のものが生まれることだってあるだろう
老人が切れ切れに思い浮かべた時空の感覚は
おそらくだれにも引き継がれることはなしに消え失せるだろう
あるいはひょっとするといつかまた別の存在によって
まったく違った時空が思い浮かべられることがあるかもしれない……