南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『宇宙は論理的なのか?』

   

          『宇宙は論理的なのか?』  

                                 価値観の研究第三部 その37

1.現在、多くの学問において使われている数学的論理は、本当に正しいのだろうか?  1+1=2とか3×4=12といった簡単な計算から、複雑な方程式の解法まで、抽象的にも現実具体的にも、もっともだと思わせる論理の体系として数学的論理は揺るぎのないものとなっている。だが、人間の脳は非論理的な思考をしないと言い切れるのだろうか?宇宙の構造は数学的な論理で説明しきれるのだろうか?

2.宇宙の始まりや変化の歴史の話を聞くと、一体、宇宙というのは合理的な数学的論理によって説明しきれる構造を持っているかどうか疑問を感じるようになる。現代まで営々と築かれてきた数学や物理学の体系は、宇宙の構造が論理的に説明できるものだと信じていることを基礎として成り立っているように見える。
 仮に、宇宙の構造が無秩序で非論理的なものだとしたら、ひとつのモデルが当てはまらなくても気にする必要はない。統一理論もなくてもかまわなくなる。
 人間の脳が論理的だと思うことが、経験的に獲得された論理だとしたら、未知の脳の働きだってあるかもしれない。
 たとえば、人間の記憶は、時間とともに変化するらしいが、多くの人間社会の仕組みは、記憶が確かで変わらないものだという前提で作られているという気がする。犯罪の取り調べや裁判所での証言などでも、人間の記憶がころころ変化しないという前提で行われているように思えるし、偽証罪などもそういう前提がなければ追及しづらいだろうと思う。

3.人間がなにかを考えるときには、脳が働いているのだから、脳の働きが明確になればなるほど、人間の思考の論理性というものもより正確にわかるようになるだろう。
 当面、学問研究あるいは科学技術の世界においてこれまで得られた論理的に整合のとれた体系を否定したり疑問を持つことにはあまり意味がないかもしれない。
 だが、長い目で見れば、多くの学問体系の正しさを検証する論理性というものが、人間が作りげてきた便宜的なものであって、宇宙や人間存在のすべてを説明できるものではないかもしれないという可能性は持ち続けるべきだと思う。永遠に解決されない謎であるかもしれないにしても。