南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

時間論Ⅸ

 

時間論 Ⅸ

 

                 南原充士

  

むかしよく行った海辺の灯台にひさしぶりに行こうと思った

最寄のバス停から三十分ほど歩くと灯台へ通ずる細道の入り口まで着き

そこからちょっと崖を上ったところに灯台はある

幸い空は真っ青に晴れて白い雲さえ浮かんでいたので

なんという絵に描いたような幸運かと喜びながら歩いて行った

そのとき突然ぐらぐらと地面が揺れて立っていられない衝撃を感じた

揺れが収まるのを待っておそるおそる歩き始めたが

周りには目立った変化は認められなかった

だが灯台への崖を上ったときあの白い建物の姿が見えないのに気付いた

すこし上まで行ってみると灯台のあったあたりの土地がごっそり崩れ落ちていて

それ以上近づくことができなかった

おそらく灯台もろとも崖下へと落下してしまったに違いない

三十分前には姿が見えた灯台が跡形もなくなったとはどういうことだろう

このあたりの景色はまったく違ってしまった

時間は空間をどのように入れ替えるのだろう

過去は思い出すことはできるが過去へ戻ることはできない

土地の一部は変形してもおおよその地形は変化していないように見える

三十分前にバス停にいた自分は記憶の中にはいるが現在いるこの地点にしか実在はしていないはずだ

この場所は昔からずっとほぼこのとおりであったように見える

時間は空間に作用することなくただ見えない風のように吹きすぎて行ったように見える

だがどんなに堅固に見える建物も一瞬にして崩れることがあるのだから

静止したように見える空間も時間の船に乗って移動していくか

あるいはなんらかのかたちで移り変わっていくとすれば

空間はいかにもはりぼてのようなたよりない存在であるかのように思える

時計を見るとあれから一時間以上が経っている

時計の秒針は規則的に時を刻む

だが時計自身が刻々と過去になっていることを忘れてはならないのではないか

時計が示す時間以外の時間こそ現在を過去にしうる機能を有しているのかも知れない

時計もまた時間の網にとらわれて自分を見失っている可能性があるのだ

しばらく灯台のあったあたりを見回してから海の方へと視線を投げたが

もう少し上まで行かないと海面は見えないのだった

あきらめて元来た道を戻ろうと思った

この道は来るときに来た道だが地震があってもなんの被害もないようだった

時間が幾重にも空間を重ねて自分の脳裏に夥しい映像が浮かんでは消えた

すでに鬼籍に入ってしまった親しいひとたちの顔がなつかしくもあり悲しくもあった

やがてバス停に着く頃には少し傾いた商店もあって防災関係の担当者が走り回る姿も見受けられた

時刻表通りではなかったがしばらく待っていると乗りたいバスがやってきたので迷わずそれに乗った 

すでに二時間が経っていたが自分の気持ちは動揺してしまって時間の感覚をなくしていた

電車に乗り換えてからも灯台が頭の中で何度も崩れ落ちるのが見えて

もはや時間について考える余力は残っていなかった