南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

テレビゲームの時代

 テレビゲームが進化して迫力満点のゲームが楽しめるのはいいことだ。

だが、エンターテインメントと芸術性は別だ。

ぼくが感じる、芸術の危機は、ITの発達と裏腹だ。

現実世界と空想世界。リアルとバーチュアル。そのバランスが崩れはじめている。

たとえば、詩の世界では、言葉が現実から遊離して言葉がうすっぺらな紙片として

モザイクのように組み合わされる。表面的な模様が奇抜で目新しければいいという見方がある。

小説では、ファンタジーがもてはやされる。結果として、映画化される作品にも、ファンタジーものが

多い。たとえば、ハリー・ポッターロード・オブ・ザ・リングなど。

わが村上春樹もファンタジーノベルの旗手だと思う。現実感はどこに行ったのか?

音楽も、粗末な歌詞の歌が目立つ。

社会が変わり、コミュニケーションが希薄化したせいか、せりふがうまく書けない。

味覚も衰えが目立つ。お茶を淹れない家庭がふえているらしい。ペットボトル全盛時代だ。

お茶もコーヒーもおいしさを追求しない。

価値あるものをどのように判断し、身に着けるのか?

皮相的な文化がはびこる傾向はなげかわしい。

親子関係、家族関係、地域関係、職場関係などいろいろな面で変化している。

それを抑えることはできない。だが、よさが失われていくことには警鐘を鳴らさなければならない。

いつの時代も、変化には、プラス、マイナス両面がつきものだと思う。

ITは生活を格段に便利にしてくれた。反面、人間関係を希薄にした。洞察力を弱めた。人間の相互理解や信頼関係を弱めた。だから、せめて、表面的なかっこよさに迷わされない、真の人間的な価値を理解し、尊重する必要性は協調したほうがいいと思う。

テレビゲームは人間の意識レベルで現実ばなれを促進した。それはそれでいいが、芸術や学問まで、
現実離れをしちゃいけないのではないか。おとなの見識を持ち続ける良識あるリアリストが存在し続けることが望まれているのではないだろうか?