南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

詩の需要

詩は商品になりにくい。

小説なら、ベストセラー。文芸誌。単行本。文庫本。いろいろな発表の機会があり、売れる商品として存在する。原稿料をもらうこともふつうにありうる。

詩はどうか?

一部の詩集は売れるがほとんどはすこししか売れない。原稿料をもらえる詩人は限られている。

詩はだれがお金を出して読むのだろう。

詩を書いているひとが買うのか?一般の愛好家が買うのか?
詩人同士では自費出版した詩誌や詩集を贈りあうケースが多いような気がする。

詩ははっきりした需要がないのかもしれない。なくてもいいと思っているひとが多いのかもしれない。
ポップスなどの歌詞としてメロディーをつけて売られることはある。
ヒットソングをささえるということはあるだろう。

音楽大学では、それなりの教育が行われている。音楽は、需要があるのだろう。
先生とか、演奏家とか、一般教養とか。

詩は専門教育もとりたててない。国文科でなら、すこしは深く学ぶ機会があるだろうか?それでも、売れる機会は乏しいのではないだろうか?

短歌や俳句人口はそれなりに多そうだ。しかし、趣味以上の存在にはなりにくいだろう。
詩もまた、趣味の世界に分類されやすいような気がする。

冠婚葬祭とかなにかで詩が使われるというような変化でも起こらない限り、商品とはなりにくいだろう。
もっとも、いくつか詩の出版で成り立っている出版社は存在する。やりようでは、商品として成り立つのだろう。自費出版もまぜながら、売れそうな詩人を発掘し、売り出すことによって。

メジャーな存在にはなりにくいものの、一部の世界では、詩も商品として成立しているといえるのだろうか?