南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

受付の研究

最近、所要で会社に出向くと、入り口にひとがいずに、電話がぽつんとおいてあるだけのところがけっこうある。内線番号を記した紙がおいてあって、用件に応じて番号をダイアルするしかけだ。それでやっと連絡が取れる。

クレジット会社なども、電話してみると、話中のことが多い。やっとつながったと思っても、すぐには人が出ない。テープかなにかに録音された声がして、要件に応じて番号を押せという指示がなされる。次にまた同じようなことがくりかえされて、ひどいときは5,6回も指示に従って番号をおさなければならない。まちがえたら、やりなおしだ。どうにかこうにかオペレーターにたどりついて話ができてほっとする。しかし、ちょっとしたデータ不足でかけなおしになったり、相手がしかるべき担当ではなかったりすると、恐怖のリダイアルに挑戦しなければならない。

いったい、コスト削減のために、そこまで機械にたよらなければならなくなっているのだろうか?

人件費が高いのはわかるが、人間がいちばんたいせつじゃないのか?

人間が人間と接しないというパターンがふえているような気がするが、世の中の流れとしてやむをえないのか?

あいさつもあまりしないコミュニティ。機械にふりまわされる社会システム。

人間の尊厳が軽視される社会に幸福も発展も期待できないのではないか?

・・・などと、ひとりで憤慨しています。

いやあ、個人的に、カード作成の手続きをしたりしたもんだから・・・(笑)。

ついつい感情的になってしまいました。

失礼!?