南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

教育の重要性(価Ⅱ=31)

 新聞やテレビのニュースは、事件や事故を優先するということ、および、情報の中立性を保つには、それなりの努力、たとえば、自分の周辺から得られる情報、統計やデータ、公益的な立場から発表される情報、法律などのシステムなどの情報を自分なりに収集し整理しておくというようなことが必要になるということ、についてはすでに述べた。

 ここでは、情報を正確にとらえるためには、教育が一つの大きな鍵を握っているということに触れたい。

 人は生まれてからずっとなんらかの環境のなかで生きる。

 はじめは、家族。
 隣近所。親戚。
 友人・知人。
 保育園・幼稚園。先生や園児。
 小学校、中学校、高校。生徒や先生。
 大学、専門学校、大学院。学生や先生。
 職場。同僚。取引先。顧客。
 恋愛。恋人。

 などなど。

 さまざまな事態に直面したときにどう判断しどう行動するかを学ぶことはたいせつだ。
 そのためには、先人の知恵は重要だ。そして、もちろん、最新の科学的な情報も。
 歴史的な経緯や利害関係や民族や人種や言語や宗教のちがいも。
 さまざまな要素をトータルにとらえれば「価値観」ということになる。

 「価値観」を学ぶことこそが、成長するにつれ大きな力となる。

 新聞やテレビの事件、事故の背後にあるものを理解するためにはそれだけの知識や理解力が求められる。

 教育は、さまざまな段階や機会に行われる複合的な総体だ。

 たとえば、親があいさつをしないなら、子供もしない可能性が大きい。
 あいさつというような基本的なことは法律的な義務ではないが、社会生活のうえではきわめて重要なマナーだと思う。最近の日本人のあいさつの欠如は目に余るものがあるが、そうした問題点は、国民全体が問題意識を共有し、解決していく必要があると思う。

 ひとりの人間が「価値観」を形成していく上で、教育は重要だ。教育のしかたで、その価値観は磨かれもするし、さび付きもする。

 そして、教育は、するものがされる立場にもなりうる。相互に学びあうという姿勢も望まれる。

 日本をめぐる最近の世界情勢はけっして楽観を許さないと思う。そういうときほど国民のさまざまな能力が発揮されることが必要になる。明確な価値観をもって自信をもってさまざまな困難に対応していくためには、教育を重視して、際物の報道にふりまわされない判断力を身につけることが非常に重要なのではないかとあらためて思う。