南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『 アラサー、アラフォーについて 』(価Ⅱ=47)

『 アラサー、アラフォーについて 』         (価値観の研究第二部=47)


1. 最近、テレビドラマがきっかけとなって「アラサー」とか「アラフォー」という新語が生まれた。アラウンド・サーティーとかアラウンド・フォーティーの略で、英語で「おおよそ30」とか「おおよそ40」とかいう意味である。もうすぐ30歳あるいは40歳になるひと(特に女性を指すようだが)のことを指しているようだ。
 思うに、日本の歴史を振り返れば、かつての人間は30代あるいは40代で死ぬのが普通だった。50代まで生きれば御の字だった。それが、医療の発達、食生活の改善、衛生状態の向上などの理由で人生80年時代を迎えるに至ったのである。おまけに女性の高学歴化や社会進出が進んだので、結婚しない女性や出産しない女性の割合もふえた。育児や教育や住宅などに回せる時間やお金が窮屈になったのも一因かもしれない。
 いずれにしても少子高齢化といわれるように社会構造が大きく変化したのを受けて、30歳、あるいは40歳になろうとしてもなお独身である女性が増加し、そういう女性たちの現状や心理を取り上げたドラマがヒットしたのだと思われる。

2.「そもそも人間は結婚して子供を生むべきなのだろうか?」という問いはばかげているだろうか?いやそうとも言えない。
「ひとの生きがいとはなにか?」ということについては、既に述べたが、当たり前と思われている人間の行動もよく考えてみれば当然とは言えないものも多いと思われる。
 国によっては、若年人口が圧倒的に多く、むしろ若者の教育、医療、就職、犯罪防止などが重要な問題になっており、日本とは異なる社会問題に直面していることを忘れてはならないだろう。
 日本について言えば、出生率を上げて、人口の激減を抑え、財政的・経済的・社会的安定を図ろうと努めているが、なかなかすんなりとは行かないように見える。
 国家や社会の安定を目指す立場からは、「人間は結婚して子供を生むように作られているのだから、そうすべきだ。」との考えのもとに、保育園・幼稚園などの拡充、助成策の強化などの努力を続けているようだ。
 それでは、独身で通そうと考えている女性たちをどうとらえ、どういう支援をすべきだろうか?答えは簡単ではない。場合によっては、結婚は「出会いがなければ、やむをえない。」と割り切らざるをえないこともありうるだろうが、一生をどのように過ごしたらいいかについてのモデル的なライフプランを示したり、老後の過ごし方、最期の迎え方などもアドバイスがなされることが望ましいと思う。貯蓄や年金や保険といった資金面からのアドバイスも有効であり、不可欠だと思われる。

3. 人生80年時代にあって、なにも30歳、40歳目前の女性たちだけが大きな問題をかかえているわけではない。ゼロ歳から80歳まであるいはそれ以上の高齢者まで、それぞれの世代に応じてそれぞれ特有の問題を抱えているといったほうが適切だろう。公的な施策は、世代ごとに適切に講じられることが望まれるとともに、当人の自主的な努力もまた不可欠だと言えよう。
   「人生をいかに送るか?」という根本問題には、絶対的な正解はないが、それぞれの国や地域ごとに、最適な方策を見出して、きめ細かな対策が講じられることしかとるべき道は無いような気がする。
 アラサー、アラフォーも、そういう意味で、今の日本の社会構造の特色のひとつを明確化し、多くのひとびとに問題のありかを示したところに意味があったと言えるかもしれない。