南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

優先順位(価値観の研究=その5)

さて、世の中には、さまざまな国家があり、国民がいて、利害関係も複雑である。

ひとつの国においても複雑さはかわらない。

世の中には、誠意と善と愛と献身と正義と勤勉と自由と無私と平和を標榜するひとばかりいるのである。

実に聖人君子のかたまりなのである。

しかし、それにもかかわらず、争いは頻発し、利害は衝突する。現実は、不正と悪と憎悪と自己中と邪悪と怠慢と拘束と私欲と戦争に満ち満ちているのである。

このパラドックスはどうしたことか!

ここに、人間社会の本質があり、悲しみがある。キリストならずとも、人間は罪深く生まれてくるにちがいないのである。

科学的には証明できないが、歴史的にはかなり説得力のある見方だろう。

つまり、人間社会は科学と思想のアマルガムだということだ。

いま核開発のことが国際的な焦点になっている。
核拡散防止条約というユニークな条約があって、日本はそれに加盟している。
それに反対するイランや北朝鮮は、「悪の枢軸」というレッテルを貼られている。
これは「力は正義である」という論理がまかりとおることを示している。
科学的には矛盾していると思うが、歴史的な視点からは、肯定されうるわけである。
政治は、力関係の側面を強く持つ。自由・平等といった絶対的な価値観もより大きな利害関係によって束縛されることがあるのは、歴史が示している。
つまり、人類はあるべき理念や向かうべき方向があって、それに向かって着実に進んでいるはずだと信じることができるかどうかだ。相変わらず、科学的な論証は困難だ。
ひょっとして、「科学と思想」をひっくるめた「科学」が成り立つのか?それができたら、革命的な進歩といえるだろう。多分、「社会科学」といわれている学問が、真に科学的なレベルに達すればそれが達成されたことになるのだろう。

ところで、世の中には、さまざまな役割が求められ、多くのひとびとが助け合って生きている。
政治家、経営者、勤め人、芸術家、スポーツマン、医者や看護師、マスコミ、科学者、IT,通信、行政、
警察、司法、軍人、交通、観光、飲食、娯楽、その他多くの業界や職業がある。

分業という意味ではそれらに貴賎や優先順位はないともいえるが、個人レベルでは、適性や好みや人生の
目標その他の事情によって、どんな職業を選択するかの優先順位を決めることは重要だ。
そして、住む家、家具や電気製品、PCやケイタイなども選択しなければならない。
人生の伴侶や恋人や友人知人もある意味では選択しなければならない。
限られた収入の使い方も優先順位をきめなければならない。
限られた時間の使い方も同様だ。
選挙があれば、だれに投票するか決めなければならない。
国際政治や国際経済にも歴史や文化にも目を配らなければならない。
国際交流も重要なことだ。
税金のことや社会保険介護保険、年金も重要なことだ。
出産や育児や教育も。
環境問題も。
さまざまな楽しみや娯楽も。
遺伝子工学量子力学も。宇宙の構造も。
先端医療サービスも。
感染症の予防も。
無数にある問題や事象や選択肢。
個人はそれぞれの判断と責任において、
ひとつひとつ決断し選択しなければならない。
複雑怪奇な現実にあって、限られた情報と判断力を前提にしながら、
自分としては最善と思われる選択をしていくべきだろう。
そこに優先順位の重要性がある。
とりあえず優先順位をつけるというところから、
ひとは出発せざるをえないし、そのつけ方が、望ましい次のステップにいけるかどうかに
おおきな影響を与えるだろう。