南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

丁 海玉さんの作品について

 仲山清さんの主宰されている詩誌「鰐組」 のweb版「ポエムスタジオレプタイル・サスペンス」はなかなか魅力的な誌面作りで、ちょくちょく訪問させてもらっている。

 すぐれた詩や評論が掲載されているので、それらを読むのが楽しみだ。
 そういった作品群のなかで、とりわけ、ぼくの心に訴えかけてきたのが、他誌からの転載作品

「丁 海玉さんの『クリーンセンター』」という詩である。

 この詩の全文は、そちらのHPでご覧いただきたいと思う。
 (URLは、http://book.geocities.jp/wanip2007/
 
 なぜそんなにすぐれた作品だと感じさせるのか、理由をさぐってみると、

 ・言葉の流れ、使い方、行わけ、読点の打ち方などがきわめてスムーズで無駄がない。

 ・イメージが具体的で、情景や動きが適切にとらえられ、表現されている。

 ・ごみの描き方が絶妙である(特に、ビニールの袋詰めの、消えかかったカバンのロゴ、

 履かなくなった運動靴のかかと、折れたバインダーの表紙、破れた傘の柄、といった例示の仕方がうま

 い!) それが「透き通りながら落ちていく」イメージもきれいだ。

 「ごみ処理センター」のことを描きながら、イメージがとてもきれいである。

 しかも、ごみを捨てに車でやってきた本人の恐怖感もうまくダブらせてある。

 (下手をすれば自分もごみの谷底に落ちてしまう!)という恐れだ。

 このように、生活に密着したきわめてふつうの情景をふつうの言葉を使ってふつうに描いているように見えるが、よく見ると、そこには、さまざまな仕掛けが凝らしてあって、うならされる。
 情景をきわめて正確にとらえ、言葉を正確にあやつり、恐怖感をしっかりと描ききった。
 類まれな傑作だと思う。

 丁 海玉さんとは面識もなく、個人情報も存知あげないが、すぐれた詩の書き手だと感心した。

 また、この作品のよさを見抜いて、紹介された仲山清さんの炯眼にも敬服する。

 やはり、すぐれた詩には、洞察力と表現技術が不可欠だとあらためて感じた次第である。