南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

人間国宝 松井康成

連休も終わって世間はまたいつものサイクルに戻っていることだろう。
ぼくもそれなりに遊びの計画を立ててはいたのだが、想定外の体調不良に見舞われて、引きこもりを余儀なくされた。9連休のうち、ちょっとでも出かけたのは、5日間だけ。
それでも、出かけた一箇所で大きな収穫があったのはうれしいことだった。

それは、笠間の工芸の丘で出会った、松井康成の焼き物だ。

さまざまな陶磁器が展示販売されている建物の2階の片隅に、松井康成の作品が何十点か陳列されている。販売もしている。
実は、何年か前に一度見たことはある。しかし、そのときは今度のようには衝撃を受けなかった。
今回はなぜだろう。ひとつひとつの、壷や皿やぐい飲みなどに圧倒的な力でひきつけられた。
板谷波山の作品を見て以来の感動だった。

「練上(ねりあげ)」という技法を完成させたということで、人間国宝にも認定されたそうだ。
1927年生まれ、2003年没。長野県生まれで、十代で茨城県の笠間に移った。大学を出てからまた笠間にもどり、あるお寺の住職をしながら、工芸の仕事を本格的に進めたという。

松井康成の作品のすばらしさは、作品そのものを見ていただくのが早道だと思うが、
一言で言えば、
「色と形が完璧」だということである。

異なる土を組み合わせるところに「練り上げ」の特徴があるそうだが、それらをうまく練り合わせるのは至難のわざだそうだ。松井康成の生前を知っている人から聞いたところでは、顕微鏡を見ながら、土を張り合わせていたという。素人がやるとばらばらにはがれてしまうのだという。
そういう精密な技術を生み出した上で、色と形の完璧さに到達したということだろう。

たまたま、「宇宙性(うちゅうしょう)」という松井康成の著書を読むと、住職としての知識や経験を踏まえた世界観を展開しているのが興味を惹く。宇宙にあるものはすべて珠だというのである。大小や形のちがいはあっても、珠が基本だという。科学と宗教が融合したような言説だ。「古事記」にある、「やさかのまがたまのいほつのみすまるのたま」を特に重視していて、そこに「珠」=「宇宙性」の根源を見たのである。

その論理展開はかならずしも科学的だとはいえないし、論理的だともいえないと思うが、そういう宇宙観、世界観をベースにあのような陶芸の傑作が生み出されたとしたら、その関係は興味深いと思う。

ここでは、松井康成の住職としての側面を強調したいとは思わない。
陶芸家としてのすばらしさをぜひ多くの方に知っていただきたいと思う。
もっとも、人間国宝だったのだから、すでに多くのひとびとがその価値を認めていたということかもしれない。ぼくだけが、そのすぐれた価値に気づかなかっただけかもしれない。

なお、参考までに、笠間工芸の丘関連のHPをご紹介しておきたい。
 (下記参照)

http://www.kasama-crafthills.co.jp/tenji/index.html