南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

「大琳派展」を見て

「大琳派展」-継承と変奏―(2008年10月7日~11月16日、東京国立博物館)を見て(感想)

 
1.はじめに

「大琳派展」は、尾形光琳生誕350年を記念した展覧会だそうだ。

 第1章 本阿弥光悦俵屋宗達

 第2章 尾形光琳尾形乾山

 第3章 光琳意匠と光琳顕彰

 第4章 酒井抱一と鈴木其一

 の4章に分かれた展示がなされている。

 全体で200点ほどの作品が展示されており、質量ともに堂々たるものだ。

2.琳派の巨匠たち

 本阿弥光悦は、1558~1637。
 
 俵屋宗達は、生没年不詳。ただ、光悦とコラボした作品が残っていることから、17世紀はじめごろに活 躍したことがわかる。

 尾形光琳は、1658~1716.
 
 尾形乾山は、1663~1743.

  二人は京の呉服商「雁金屋」に生まれた。光琳が次男、乾山が三男。
  経済的には裕福だったが、光琳は浪費家だったらしい。

 酒井抱一は、1761~1828.

 鈴木其一は、1796~1858.

  こうしてみると、琳派といわれるものの、実際は、直接の師弟関係のない、100年、200年の時を隔て た、偉大な画家・工芸家が、先達の偉業を学び、表現技術を取り入れる事で、ひとつの流れを継承して きたことがわかる。

3.今回のハイライト

 今回のハイライトは、「風神雷神図」のオンパレードだと思う。

 宗達光琳、抱一、其一の四人の描いた風神雷神図屏風(其一は襖絵)が一堂に会しているのはまさに壮観だ。

 ただし、宗達風神雷神図が、構図、ダイナミズム、色彩の微妙な変化といった点から見て、傑出していると思う。

 第3章で、光琳の意匠が、後世においても、着物やアクセサリーなどさまざまなグッズに用いられて、民衆に歓迎されたことが紹介されており、そうした人気の高さでは、光琳がナンバーワンだったかもしれない。 

 しかし、画業としてみれば、宗達のおおらかで活き活きとした斬新な表現技巧が抜きん出ていると言ってよいと思う。

 京都の光悦工房跡には、小生も訪れたことがあるが、そこには特に見るべきものは残っていなかった。私見では、光悦は総合プロデューサーとして手腕を発揮したように見える。総じて作品の雑な仕上がりが気になったが、中には、精巧な仕上がりの作品、たとえば、「舞楽蒔絵硯箱」、「扇面鳥兜蒔絵料紙箱」、「赤楽茶碗」などもあった。

 宗達下絵で光悦筆の「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」などを見ると、両者のよさがいまいちかみ合っていないのが惜しまれる。

 宗達の作品では、ほかに、「関屋図屏風」、「西行法師行状絵 巻第三」、「桜芥子図襖」、「牛図」、「兎図」などに特に惹かれた。

 
4.尾形光琳

 光琳の代表作「紅白梅図屏風」が出展されてないことが惜しまれる。光琳は全体としては、宗達に及ばないと思うが、いくつかの作品については、宗達と比肩しうるレベルに達しているといえよう。そのひとつが「紅白梅図屏風」である。あの屏風全体の大胆なデザイン、意表を突いた水の流れと梅ノ木の装飾的な描き方そして金地に黒を基調とした彩色には瞠目すべき芸術性が見て取れる。

出展された作品の中では、「秋草図屏風」、「四季草花図巻」、「孔雀立葵図屏風」、「竹梅図屏風」、「八橋蒔絵螺鈿硯箱」などに惹かれた。さすがに、かきつばたを描かせたら光琳の右に出るものはいないという感じである。

5.酒井抱一

 抱一は、光琳を非常に尊敬していたようで、「光琳百図」などを編集したほどだ。抱一は光琳につながる技術を習得して、たしかな表現力を示している。

 たとえば、「青面金剛像」は、真っ黒い背景で、金剛像を描いている点がユニークだ。
 「調布玉川図」、「宇津山図屏風」、「八橋図屏風」、「夏秋草図屏風」、「月に秋草図屏風」、
「柿図屏風」、「色紙貼交屏風」、「四季草花蒔絵茶箱」などに惹かれた。

6.鈴木其一

 其一は、それなりに琳派の画風を継承していて、それなりのレベルに達した画家だとは思うが、先人に比べて特に秀でたものがないような気がしたのが残念だった。

 それでも、「釈迦三尊十六善神像」の複雑な神像の巧みな描き方、「吉原大門図」の活き活きとして精密な風俗描写、「暁桜・夜桜図」のコントラストの妙などは、其一の非凡さを裏付ける証左といえよう。

    *

 日本画の歴史を振り返るとき、琳派をまず思い出す。琳派はこれからも繰り返し見られ語られ受け継がれていくであろう。こうした偉大な先人の努力と才能の結晶が保護され愛され敬意を表される機会は日本文化の継承という観点からもきわめて意義あることだと思う。そういう意味からして、今回の「大琳派展」は必見の展覧会になっていると思った次第である。