『 加山又造展を見て 』
昨日(平成21年2月28日)、国立新美術館に、加山又造展を見に行った。
思えば、40年ほど前、新潮社の詩人全集のひとつ「萩原朔太郎」の表紙に加山又造による装画を見出して、強く惹かれるものを感じて以来、テレビや書物などで加山の作品を見かけるたびに興味をそそられ続けてきた。
昨日は、年来の夢がかなう思いで、わくわくしながら、美術館へ出向いたのだった。
加山又造は、1927年、京都に生まれた。祖父は、絵師、父は、京都西陣の和装図案家だった。東京美術学校を卒業し、山本丘人に師事。若くして認められ、さまざまな手法を試み、2003年には文化勲章を受章し、2004年惜しまれながら亡くなった。
展覧会には、100点余の作品が陳列されていた。
エントランス 雪月花の大作。
第1章 動物たち、あるいは生きる悲しみ―――様式化の試み
第2章 時間と空間を超えて―――無限の宇宙を求めて
第3章 線描の裸婦たち―――永遠のエロティシズム
第4章 花鳥画の世界―――「いのち」のかたち
第5章 水墨画―――色彩を超えた「色」
第6章 生活の中に生きる「美」
という構成であった。
第1章の作品は、習作といった趣で、なにかを探そうとしているように見えた。中では、「月と駱駝」に図案化のおもしろみを感じた。
第2章は、独自の装飾的な風景画の世界を確立した作品群であったが、有名な「春秋波濤」がやはり魅力的だと思った。琳派の影響が色濃く窺えた。
第3章は、洋画的なタッチの線描による裸婦を屏風に仕立てたという独創性に注目した。
特に、「黒い薔薇の裸婦」の洗練された構図や良質のエロティシズムに惹かれた。「裸婦習作(白いレース)」、「白い薔薇の裸婦」、「はなびら」、「はなふぶき」も花と女性の描き方が絶妙で、加山又造の才能が開花していると思った。
第4章は、第2章とともに、俵屋宗達や尾形光琳の様式に学んだと思われる琳派的な作品が印象的だったが、仔細に見てみると、残念なことに、これらの作品には加山の本領は発揮されていないのではないかという感じもした。意外にも、一見写実的な作品「夜桜」に心が動いた。
第5章は、従来の描法による水墨画やくっきりとして写真のような描法による水墨画など、加山のさまざまな試みが印象的だった。中では、小品ながら、「風」という作品の鳥の描き方の美しさに惹かれた。
第6章は、陶磁器、宝飾や着物のデザイン、羽子板、エッチング、メゾチント、表紙絵など、加山の多才にして多彩な側面を示す作品が陳列されていた。
総じて言えば、加山は、旺盛な好奇心から、さまざまな描法に挑戦したらしく、洋画、
日本画の枠を超えた自由な発想と徹底した装飾性・デザイン性に特色があると思われる。
今回、長年の小生の夢がかなったわけだが、結論的に言えば、予想していたよりはインパクトが弱かったと感じられたのはやや残念だった。それでも、裸婦シリーズという今まであまり知らなかった加山の画風に接する事ができたのは大きな収穫だった。絵はやはり実物を見ないと本当の観賞はできないのだとあらためて思った次第である。
加山又造展については、下記参照。
http://www.kayamaten.jp/