南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『 長谷川等伯展 を見て 』

 
   『 没後400年特別展 長谷川等伯展を見て 』


 昨日(平成22年3月14日)、東京国立博物館で開催されている「長谷川等伯展」を見た。


1.長谷川等伯は、天文8年(1539)、能登半島の七尾で生まれ、仏画を描いてその絵師としての評判を確立した。30代で上洛し、画題を、仏画のほか、肖像画花鳥画へと広げた。千利休豊臣秀吉にも重用され、一躍時代の寵児となった。狩野永徳さえ脅かしたという有名な逸話も在る。
 慶長15年(1610)、新天地を求めて江戸へと向かったが、惜しくも江戸に到着後病没した。享年72歳。

2.今回、等伯宛の書状などを含めて、78点の絵画作品等が陳列されていた。
 絵画について言えば、総じて手堅い技量を示していることが見て取れたが、傑出しているという印象を受けたものが数点あった。

 まず、「楓図壁貼付」。秀吉が、3歳で亡くなった子・鶴松の菩提を弔うために祥雲寺に金碧障壁画を描くことを等伯に依頼したもののひとつ。現在は、京都の智積院に所蔵されている。

 規模の大きさ、構図の大胆さ、細部へのこだわり、色彩の変化、かたちの組み合わせの妙、全体としての圧倒的な迫力など絵の前にたたずんでいると、思わず大きなため息が出た。

 「仏涅槃図」。京都本法寺所蔵。釈迦の亡くなったときの様子を描いた壮大な涅槃図。たて10メートル、よこ6メートルほどもある巨大な作品で、中央に横たわる釈迦のまわりに多くの弟子やそのほかのひとびとや動物たちが嘆き悲しむさまが活き活きと描かれている。会場の壁の高さでは足りずに下のほうは折られて展示されていた。
 この涅槃図は、等伯が息子の絵師久蔵を26歳の若さで亡くした悲しみを紛らすために精魂込めて描いたものらしい。

 「松林図屏風」。水墨画の傑作。墨一色ながら、屏風の構成、松の配置、際立つ濃淡、朦朧とした空気(おそらく霧がかかっている)などが、見るものを不思議な世界へと導き、存在の深い謎に直面して震撼させられるようだ。

 以上、3点は、わが国の絵画史上における最高傑作に数えられるという確信をもった。

 ほかにも、「千利休像」など、ゆるぎない人物像が一分の隙もなく描出されており、強く印象に残った。
 
 
 (参考) http://www.tohaku400th.jp/