南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

特別展「源氏物語の1000年ーあこがれの王朝ロマンー」を見て

【特別展「源氏物語の1000年-あこがれの王朝ロマン―」(横浜美術館。平成20年8月30日―11月3日】


 今年が源氏物語1000年紀にあたるということで、開催された特別展。
紫式部日記」には、当時、源氏物語が広く読まれているという記述があり、それがちょうど1008年だったということだそうだ。

1. 展示品は多岐にわたっていたが、大別すれば、

(1) 源氏物語の写本のあれこれ
(2) 紫式部日記の写本
(3) 源氏物語にかかわる絵、屏風、貝合せ、蒔絵などの工芸品
(4) 紫式部を描いた絵、紫式部日記にかかわる絵
(5) 藤原道長の書いた日記(御堂関白記)、写経
(6) 源氏物語の注釈本(北村季吟本居宣長賀茂真淵など)
(7) 源氏香
(8) 源氏百人一首、源氏双六、源氏かるた
(9) 源氏物語の翻案(にせ紫田舎源氏=柳亭種彦著)(にせは、にんべんに彦)
(10) 源氏物語の現代語訳(谷崎、与謝野、円地、舟橋、瀬戸内、橋本など)
(11) 源氏物語の外国語訳(英語、フランス語、中国語、ロシア語など)
(12) 源氏物語絵巻の模写、復元模写
(13) その他平安時代の文物(金峰山出土品、賀茂御祖神社古神宝、亀山切 古今和歌集など)

 これだけの貴重な文化財が揃うのは珍しいと思う。全部を見終えてやはり源氏物語がわが国の文化に大きな影響を与え続けてきたことを痛感した。

 平安時代からどれだけ多くのひとびとが写本の作業をしてきたことだろう。近年になって印刷術の発達により、だれでも読もうと思えば、手軽に読みやすい本が手に入るようになったが、それまでは、人間が墨で一字一字写してきたのだろう。

 歴史的は、源氏物語も、さまざまな紆余曲折を経てきたといってよいだろう。
将軍などの権力者に利用されたり、逆に不道徳だと批判されたり、毀誉褒貶の変遷もはげしかったようだ。

 それでも、こうして今日まで生き残っているのは、源氏物語がそれだけ無視し得ない文学的な価値を持っていることの証左だろう。

2. 今回、わたしが、もっとも感銘を受けたことのひとつが、国宝源氏物語絵巻の圧倒的な魅力である。残念ながら、実物は展示されておらず、写真や模写や復元模写だけだったが、以前に他の展覧会でほんの一部分のみ実物を見たことを思い合わせてみると、その思いは強まってくる。

 国宝源氏物語絵巻源氏物語が書かれた100年ぐらい後に描かれたらしい。描いた絵師は不詳らしいが、よっぽど優れた絵師集団がいたに違いない。

 今回、平安時代以降の各時代に描かれた源氏物語の絵を見たが、やはり江戸時代の土佐派の手になる作品が高い完成度を示していたと思う。

 そういえば、浮世絵にも描かれているのが異質な感じでおもしろい。田舎源氏に見られるエロティシズムはなかなかのものだと思った。

 そして近現代の画家もなかなかの労作を残している事もわかった。たとえば、上村松園などはかなり本格的に取り組んだらしい。 

 そうしたもろもろの労作を見比べると、源氏物語が美術にどれだけ大きな影響を与えたかがよくわかる。

 それと同時に、源氏物語絵巻がとびぬけたなにかをもっていることも確かに感じ取れる。

 江戸時代の源氏物語の描き方は、平安時代に比べると、規模が大きく、構図もかっちりとしていて、遠近法もより正確になり、色彩もより鮮やかになっていると思われる。

 しかしながら、絵の与えるインパクトは国宝のほうが大きいのではないだろうか。その理由は、ひとつは、人物が斜めに描かれているからではないだろうか。この不自然な角度のせいで、源氏がどこか悲しげに見えるのだ。
 そして、もうひとつは、狭いところに人物がごちゃごちゃとひっついて描かれていることだ。その狭さから人間味が伝わって来る。

 更に、やや崩れたかたちや色合いがかえって、平安時代の貴族社会の暮らしぶりをより忠実に描いたように感じさせると思う。

 源氏物語が書かれてから100年ぐらい後に描かれただけに、まだまだ、源氏物語の時代のようすが実感としてわかっていたからではないだろうか?

 たまたま、美術館ショップで、源氏物語絵巻を複製した箱入りの資料が売られていたので、見せてもらった。

 4巻に分かれていて、それぞれ、厚紙の表紙の間に折込式で絵巻が収められている。あまりの見事さに唸ってしまった。定価約10万円と高価だったので、購入は断念せざるをえなかったのだが。

3.そのほか、源氏物語は、それにまつわる多くの芸術作品や書物や調度品や遊び道具などがあって、親しめばいくらでも魅力を発掘できる宝庫だと思う。

 この特別展は、そういう意味で、源氏物語についてのアウトラインを提供してくれる貴重な機会であり、多くの方々が、ご覧になることを勧めたいと思う。