南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

逆翻訳

       『逆翻訳』


 外国語を日本語に翻訳するという例はよく見られる。

 日本の古典文学を現代語訳するという例もある。たとえば、源氏物語の現代語訳など。

 同時代人の文章だって、実際には自分の言葉で置き換えているはずだから、それも一種の翻訳と言って良いだろう。

 ところで、忘れられやすいのが、短歌や俳句を作ることは、現代語を古文に翻訳している場合があるということだ。

 現代人の現代の感覚を古文によって表現することがしばしば見られる。

 これは、いわば「逆翻訳」とでも呼べる行為ではないだろうか?

 古文や古代人の感覚もまた現代語や現代人の生活に溶け込んでいるではないか?という意見もあるだろうが、やはり、時代の変化というものは厳然としてあるととらえるほうが自然ではないだろうか?

 この時間と言葉と感覚を遡ろうとする行為が成功すればいいが、ときには、時代錯誤や不自然さというつまづきを招きかねないケースもある。

 なんのために、伝統的な形式や用語法に従うのかを明確に意識した上で、感覚と言葉が表現したい内容にマッチしていることが求められるのではないだろうか?

 あまり意識されていない視点だと思うので、「逆翻訳」という言葉をつかってみた次第である。

 これは、「現代語の古典語訳」というような意味合いである。