南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

『 源氏物語 』 を読んで

   


      『 源氏物語 』 を読んで



 源氏物語を原文で読んだ。原文と言っても、草書体で書かれたものではなく、注釈付きの活字体であるので、厳密には原文ではないが、現代語訳でもない。

 たった千年前の日本語の文章がここまで理解できないということに驚いたが、注釈が付けばストーリーの大きな流れぐらいはわかるということにも安心した。

 岩波文庫版(山岸徳平校注)の全6冊を読み終わるのに一年以上も時間がかかったのは、わたしが読解に手間取ったためであったが、なんとか最後まで読み通したいと思わせたのは、源氏物語の魅力ゆえだと思う。

 くわしいことは別途書く機会もあるかもしれないが、ここではとりあえず気がついたポイントだけをいくつか備忘録的に書き留めておきたい。

1.「物語」というものが、歴史書以上に、歴史をもっとも活き活きと詳しく記録することが出来るという基本認識が作者(紫式部)の根底にあること。(蛍の帖、参照のこと)

2.それにしても、なんのためにこれだけの長編の物語を書いたのだろう?
 エンターテインメントだったのか、それとも、当時の権力者(皇室や貴族)が自分たちの治世を間接的に正当化する意図があったのか?よくわからないこと。

3.当時の貴族社会において、一種の「不倫物語」が愛読されたのにはいかなる背景があったのか?
 中国の楊貴妃の物語など、先例があったために受け入れられやすかったのか?

4.光源氏をはじめとして多くの登場人物が登場し、複雑な人間関係を作り出し、さまざまなできごとがくりひろげられるが、作者は、それに対して、善悪を云々することはなく、中立的な立場を維持していること。

5.天皇をはじめ高貴な身分の登場人物を中心に物語を構成することにより、当時の権力機構や婚姻や家族のありようを明らかにするとともに、女房の立場から男女関係に重点をおいて物語を展開することで、男から見た権力闘争というともすれば各方面から批判を招きやすい政治的な事柄を意識的に除外したことは、戦略的にみてきわめて賢明であったこと。また、皇室にせよ、貴族階級にせよ、どのような経済的な基礎があったのかということについてはほとんど記述がなされていないことも賢明であったこと。


6.光源氏や薫大将や匂宮など高貴な男に愛を告白されても、すべての女性がいいなりになるわけではなく、自分の立場において可能な限り有利で自分の気持ちにもそうような選択をしていることは、当時の女性の主体性をうかがわせるものとして興味深い。たとえば、玉蔓は光源氏の養女として面倒を見てもらうがついに身を任すことはしなかったし、八宮の娘大君も最後まで薫の愛を拒み続けるままに、若くして亡くなってしまう。浮舟にしても、失踪事件の後はきっぱりと薫を拒んでしまう。

7.和歌がストーリー展開の鍵を握っているという物語の展開は、詩情をそえる意味できわめて効果的であること。当時は、交通事情や郵便・通信事情が今日のように発達していなかったので、文のやりとりが重要な意味をもたされること。

8.貴族階級には、多くの女房や家来や召使いがいて、それらがさまざまなかたちで主君に使え補佐しときには足をひっぱる。うわさや陰口はいつの世もあるものだということ。

9.当時は、医学が未発達だったので、病気を追いやるのは僧侶のしごとだった。加持祈祷の力が信じられていたようだ。また、病気は物の怪がついて起こるということも信じられていたふしがある。

10.仏教思想はかなり浸透していたようだ。因果応報というような考え方も。

11.白氏文集など中国の文書は広く読まれていたようだ。

12.当時の宮廷では、詩歌、管弦、絵画などが重要な技能であり、祈祷、法事、祝い事など、イベントも盛大に行われたようだ。

13.自然描写がきわめて繊細でたくみだ。

14.十二単など衣装へのこだわりも相当なものだった。

15.寝殿造りの家屋は華奢で暑さ寒さは相当なきびしさがあったようだ。几帳、屏風、御簾、など造作も簡単なものだったようだ。高貴な女性は家の中にひきこもっていて、親しくなるまでは、顔を見せることもなかった。扇で顔を隠したりもした。

16.当時は、電気もなく、水も潤沢ではなかったので、夜は暗かったし、風呂にはいることも稀だったようだ。したがって、香木をたいて、衣装に香りをしみこませていたようだ。髪を洗うのも一仕事だったことが描かれている箇所がある。

17.それにしても、登場人物は、なにかにつけて、よく泣き、涙をぽろぽろこぼす。誇張なのか、それとも当時の人間は実際によく泣いたのか?よくわからないが、興味をそそられた。

18.これだけ長い物語を、紫式部ひとりで書いたのか、それとも複数の作者がいたのか?いろいろな学説があるようだ。千年ものあいだに、支配者や社会のさまざまな変化に伴い、源氏物語に対する評価も変化せざるを得ず、多くの改変が加えられたとしてもふしぎはないが、それにしても、現在まで伝わった物語を見ても、全編にわたって、見事なストーリーの展開や描写が見られるので、仮に複数の作者がかかわっていたにしても、紫式部と同レベルの力量の持ち主が書いたのだと思われること。

19.余談ながら、「紫式部日記」などを読むと、当時は、紙も筆も墨も貴重品だったので、物語を書いたり書き写したりは高貴で裕福な者にしかできなかった。紫式部は、藤原道長というスポンサーがいたので、恵まれていたといえよう。


 以上、思いつくままに、感じたことを記してみたが、「源氏物語」が、作り事ながらも、平安時代の様子を実に的確に伝えてくれていることに今更ながら驚くとともに、紫式部という才能と運にめぐまれた女性をしのびつつ心から感謝したいと思う。