南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

科学と思想(価値観の研究=その7)

すぐれた科学者の中には敬虔な信仰者あるいは確固たる思想信条の持ち主である者もいるだろう。

科学的であろうとする者もさまざまな外的な制約や影響を受けざるを得ないだろう。

湯川秀樹は熱烈に平和主義を唱えたようだ。

核兵器につながる発明発見をしてしまった科学者たち。

科学技術が軍事に結びつくことは避けにくい。

どんな研究にどれだけの金とひとをつぎ込むかは重要な判断だが、それとて、国家的な政治や経済との関係を抜きでは考えにくい。

しかも、歴史は不幸な過去の連続であり、それらを引きずって現在がある。

正義が支配することを望みながら、そうはいかない現実を見てしまう。

正義もまた思想であるかもしれない。

思想は科学的でありえないのか?

人類の経験の科学としてとらえうるだろうか?

たとえば、平和のための戦争などという矛盾した表現も

ときには大きな旗印となる。

現実を正確にとらえたうえで、次のステップでは、

なんらかの判断と行動が求められるが、そのとき

判断の根拠となるのはある思想・価値観だろう。

科学と思想が融合して現実が動いていくところに

人間社会のむずかしさがあるのだろう。