南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

価値観の競争(価値観の研究=その8)

では、現実にはどのように物事は決まるのだろうか?

一言で言えば、「価値観の体系」である。

たとえば、政治家は「マニフェスト」+アルファ、経営者は実績、芸術家は作品、スポーツマンは成績、芸能人は人気、一般人はそれなりに。

国のトップがどのように選ばれるかは国によって異なる。
制度や慣習が異なる。

そういう制度や慣習もまた歴史的に構築され承認されてきた@価値観の体系」だ。

たとえば、総理大臣は、政策を競う。もちろん、純粋に政策だけでは決まらないだろう。政党や地域などのさまざまな利害関係や、個人の能力、人格、品格、イメージ、支持率、人気、マスコミの報道などが総合的に加味されて、選挙結果が決まる。

そこには、いくつもの「価値観の体系」が競争をくりひろげている。

同様に、会社も競い合っている。
会社の場合は、商品やサービスが売れるかどうかが勝負だ。
商品やサービスの質に加えて、販売網、広告宣伝、管理能力、社員の質などが総合的に「価値観の体系」つまり「ブランド」を形成して競争する。

かつては、なんでもありで、殺し合いに勝てばいい、「勝てば官軍」が徹底していた時代もあった。

『価値観の体系』は、時代により、地域により、国により、民族により、異なってくる。
どこまでが連続していると見るべきかはむずかしい。

少なくとも、今の日本について言えば、言論の自由が相対的には保障されている国だと思う。

そういう環境の下では、言葉による「価値観の体系」の構築が非常に重要だ。
マスコミの影響力も甚大である。
情報の発信力も競争を左右する大きな要素だ。
もちろん、「金の力」が基本的には最大の影響力をもっていることは言うまでもないが。

余談ながら、文学は、言葉で「価値観の体系」を表現するには最適の手段だ。

ふしぎなことに、文学は森羅万象を飲み込むことができる。
政治経済社会文化科学技術なんでも描ける。
答えが出せないことについては、問いかけをするという道もある。

言葉は人間が動物界で飛躍的に力を得るための最大の武器だったらしい。
文学がそういう役割を果たすものだと考えれば、その価値は大きいものがる。
あらためて、言葉をつかうことの意味を確かめることができる。