南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

価値観の形成(価値観の研究=その10)

では具体的に自分なりの価値観をどのように構築していったらいいだろう?

簡単な答えはあるはずもない。

手っ取り早いのは、先人の知恵だ。
すぐれた先人は数多くいる。
それらの先人から学ぶことがひとつの有力な方法だろう。

同じような問いかけをした先人は無数にいて、どのようにそれを処理していったのか?

いろいろなアプローチがあったはずだ。
正解はないかもしれない。
しかし、時間を越えて生き残っている価値観はある。

たとえば、デカルトだ。「我思う、ゆえに我あり」で有名な「方法の話」など。

ぼくなりに解釈すれば、たいせつなのは、専門家の意見だ。
自分の専門分野については自分が責任を持って判断する。
専門分野以外のことについては、専門家の意見を尊重する。
どの専門家の意見が傾聴に値するかも重要な情報だろう。

そのような前提の下に、
自分の価値観の体系を創ってみる。
それをレビューしながら、修正をくわえていく。
それは自分にとって最善の価値観であるが、他人にはそうであるかどうかはわからない。
そこで、以前に述べたような、価値観の体系間の競争が起きる。
個人レベルで勝ち負けがつかないこともあるが、選挙では勝ち負けが決まる。
終わりのないストーリーだが、
人類が生きている限りは、このようなプロセスがくりかえされるだろう。

価値観の体系がこれからいかに形成され、どのような価値観が優位を保っていけるか?
予想は困難だが、私見では、偏見のない自由な精神を維持しながら、真理を洞察しうる眼力を
ベースにして構築された価値観の体系が優先されるだろうと思う。

詩歌についてもそうあってほしいと願っている。