南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

立場(価値観の研究=その14)

価値観の体系を構築するときに忘れてはならないのが、立場という観点だ。
たとえば、今の世の中のことについて批判するとしよう。
批判はどんな立場からするのか?は重要なポイントだ。

憲法改正はわが国の将来にかかわる重要問題だろう。
これについて、防衛省の職員が、公式に反対の態度をとることはむずかしいだろう。
しかし、個人的なレベルでは、反対と考えている職員がいないわけではないだろう。

これに対し、職業的に憲法改正についての態度に特別の制約がないという国民のケースであれば、公私共に賛成とか反対とかの立場を貫けるだろう。

政治的な活動に制約を受ける職業もあれば、そうでない職業もある。
さまざまな立場をもった国民がいるので、意見も微妙に変わる。
評論家という職業もある。政治評論家としての発言というものもある。
庶民が雑談のなかであれこれ意見をかわすときは、なんの責任もなく自由気ままに発言できるだろう。

憲法に定められていることといえば、国家権力のことと基本的人権のことが中心だ。
国民は、さまざまな権利を保障されている。そして、さまざまな義務も負う。

ある国民がいる。自分の支持する候補者に投票する選挙権がある。しかし、所得税や住民税を納める義務を負う。社会保険料も納めなければならない。

ある国民が、さまざまなことに舌鋒するどく批判するとしよう。

たとえば、教育制度に問題があるから学校でのいじめが増加する。だから、教育にかかわる法律や制度や教育委員会や教員養成方法や学習指導要領などを改正する必要があると主張する。

その者が、学校関係者であるか、学校に通う子供を持つ父母か、直接関係をもたない者であるかどうかによって、発言の意味と重みはかわってくる。

多くの場合、利害関係のある者はその立場上、責任ある発言を求められるので、真剣さや正確性や状況把握や問題解決の方向性について、利害関係のない者より高いレベルの準備をすることが期待される。

もちろん、言論の自由は、利害関係のない者の発言を否定はしない。しかし、発言には責任がともなうので、責任の重さによって発言の尊重度に差が出てくることはありうる。

自分の意見を形成するときに、そういう「立場」の持つ意味を忘れてはならないと思う。

「価値観の体系」の構築のひとつの前提として、自分がどんな立場からものをとらえて、意見をもとうとしているのか、チェックしなくてはならないと思う。