南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

団塊の世代(価値観の研究=その13)

藤原伊織氏も団塊の世代、全闘共世代に属していた。

一口に団塊の世代といっても何百万人もいる。

ひとくくりにすることには無理がある。

しかし、「どんな特色があったか、またいまあるか?」ということを考えてみることはおもしろいし、意味があることだとは思う。

歴史をどうとらえるか?というときの、ひとつのヒントとしても興味深い。

まだ、過去になりきっていない時代のことや世代のことを描いてみれば、過去になってしまった時代の
ことをどうとらえるかについての手法を考えるのにも役に立つはずだ。

団塊の世代」の定義について厳密な議論をしたいとは思わない。

戦後のベビーブームに生まれた世代。
昭和22,23,24年あたりが中心だろう。

名付け親は、堺屋太一氏らしい。

ぼくは昭和24年北関東の地方都市に生まれて、東京の大学を出た。
学生運動の真っ最中だった。

個人的な経験をベースに当時の東京の大学生についての特徴を挙げれば、

おおきく3つグループに分かれた。
1.政治運動に積極的にかかわらない。(いわゆるノンポリ
2.全共闘(といっても多くのグループに細分化していた。角材、鉄パイプ、ヘルメット、タオルでマスク、というスタイルで、デモをしたり、集会をしたり、アジビラを配ったり、校舎を占拠したりした。)
3.民青(共産党系)

 ノンポリといっても左翼的な発想、中立、右翼的な発想、無関心派など詳しく見ればいろいろあった。
 デモとか集会に積極的に参加しないというだけで、政治に関心がないというわけではなかった。

 最初は、これらの学生はクラスメートとしてひとつにまとまっていた。やがて、学生運動が激化するとともに、3グループはけっていてきな対立関係に陥り、信頼関係を失ってしまった。

 卒業してからも、基本的には、3グループの分裂状態は解消していないと思う。
 ここに最大の不幸があると思う。

 自分のクラスメート(法律専攻)についてみれば、
 卒業してからの進路は、ノンポリが、一般企業、公務員、大学、マスコミなど。
 全共闘は、弁護士、一般企業や公務員、大学。
 民青は、弁護士など。

 学習意欲にはいまの若者と差はないと思う。
 ただ、パソコンやケイタイなど便利なものがなかったので、情報量や情報の処理力はいまの若者のほうが上だろう。
 ただし、人間と人間が話し合うという機会はいまより多かったかもしれない。
 生涯雇用がふつうだと思う人が多かった。いまの若者は自分の進みたい道に忠実かもしれない。

 スポーツや遊びについては、選択肢はいまよりせまかったものの基本的には大きな差がないような気がする。ただし、マージャンはよくやっていた。
 合コンなどもそれなりにやっていたような気がする。
 群れて画一的で権威主義的だという見方があるが、それほどでもないと僕は思う。
 
 今団塊の世代は、60歳にちかづいた。
 全体としてどういう特色があるのかよくわからないが、まず自分たちのことをよく知ることが世界認識の第一歩であることはまちがいないだろう。

 「価値観の体系」を考えるうえで、「団塊の世代」の考察も自分の重要なテーマとしてみたいと思う。