南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

政治性の問題

おそらく科学が発達した21世紀の現代においてもまだまだ解決困難な課題は政治性の問題だろう。

たとえば、与党と野党の対立がある。宗教的対立がある。思想的対立がある。価値観の対立がある。経済的対立がある。産業的対立がある。民族的対立がある。人種的対立がある。階級的対立がある。国益の対立がある。軍事的対立がある。研究開発的対立がある。主義主張的対立がある。国境的対立がある。芸術文化的対立がある。感情的対立がある。とかく対立は生まれやすく解消しづらい。

その中で最も解決困難な課題は政治的対立だと思う。なぜならある政策や政治的主義主張は想像以上に頑強であり、相互に誹謗中傷へと至りやすく、嫌悪感が生じやすく、温厚な人間同士を殺し合いへと追い込むおそれもあるからである。

具体例を挙げるなら、1970年代の学生運動が盛んだったころ、全国から東京へ集まったわがクラスメートははじめは新鮮で魅力的な友情を感じ始めていた。だが、学生運動の波が押し寄せてきて、それへの立場の違いが鮮明になるにつれクラスメートの分裂と対立が激しさを増していった。ともに講義を聴き、飲み会に参加し、麻雀やスポーツに興じた仲間が二度と親しく接することはなくなった。お互いになんの恨みも憎しみも持つ理由などなかったのに、仇敵のように互いを非難し合うようになったのだった。卒業後50年近く経ってもこの決裂状態はまったく解消していない。なにが素朴な学生をここまで引き裂いたのか?それこそ人間の思想信条から生まれる政治的な考え方や立場であったのだ。

 

たとえば、自分の友人知人にも親切で穏やかでまことに尊敬すべき人物がたくさんいるが、こと政治のことになると突然別人のように頑なに自己主張をするものが少なくない。家族を思い、生活を成り立たせる努力をし、病気と闘い、冠婚葬祭に振り回される平凡で善良ななひとりの人間が、なぜ信頼し合って語り合い助け合い喜怒哀楽を共にできないのか?与党支持者と野党支持者に分かれたとたんに深い溝ができてしまう。憲法改正原発、安全保障、社会保障、教育といった課題に対してまるでヘイトスピーチを投げつけ合う敵同士のように相手を攻撃するのは、いかにも嘆かわしい。なにか知恵はないのか?

 

文学は政治といかにかかわるべきだろうか?

これについてもまさに政治的な対立と連動して複雑な関係が生じるだろう。

解決困難だとしても政治性の問題については粘り強く取り組んでいく必要があると思う。右翼と左翼とか民主主義とか共産主義とかキリスト教とかイスラム教とか白人とか黒人とかさまざまな政治的対立を生み出す要因をときほぐしてすこしでも殺し合いや抑圧や侵略や誹謗中傷がなくなるようにそれぞれの立場の人間が努力することをあきらめないことが求められるのだと思う。レッテルを貼り合って罵り合ってもなんの解決にもなりはしないのだから。