南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

社会批判の視点(価値観の研究=その15)

 世の中には、むかしから、賞賛もあれば批判もあり、風刺や皮肉や揶揄もあった。

庶民が、不満を言う方法はいろいろあったが、時代によって、言論の自由の程度が異なるから、
その言い方も変化にとんでいる。

では、庶民を代表するつもりで、いろいろ批判的な発言をするひとがいるとする。

自民党は親米一辺倒で主体性がないとか、憲法改正は戦争への危険性を高めるおそれがあるから反対だとか、財政赤字は政府の責任だとか、社会保険や年金制度について国民に展望を与えないとか、税負担が不公平だとか、金融政策が失敗だとか、証券取引法外為法に欠陥があるとか、教育制度に欠陥があるので、いじめや自殺などの問題が発生しているとか、雇用政策の欠陥のせいで、ニートが発生したとか、
とにかく、あらゆることに対して批判的な言辞を弄する者がいるとする。

それらの批判には反論が可能だろう。根拠資料や論理展開を突きつけあって議論は展開されうるだろう。

そういうまったく利害関係や立場を離れた議論がなされることは悪いことではない。
ただ、その場合、「批判のための批判」であったり、「批判が愉快」だからとか、「応援団の喝采をえたいから」とかの不純な動機が働いていないことを確認する必要があると思う。

批判は重要な改革の契機となりうる。
しかし、批判のもつ構造や性質にも注意を払うことを忘れてはならないだろう。