南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

人間関係=その9(嘘も方便)(価値観の研究=その36)

 前回、人間関係におけるコミュニケーションの重要性について話したが、コミュニケーションは常に真実が語られるとは限らない、「作戦上、嘘をつく」とか、「都合の悪いことは言わない」とか、「おたがいの平和のためにあえてうそをつく」とか、「うそによってその場を盛り上げる」とか、「悪意をもってあえて嘘をつく」とか、いろいろなケースが考えられる。

 もちろん、一般的には、嘘をつくべきではない。道徳的にはそうだ。また、法廷でも、偽証罪に問われたりする。嘘発見器などというものもあるぐらいだ。人間の発汗作用や脈拍、脳波などををチェックしてうそをついているかどうかを判定しようということだろう。科学がどれだけ人間の心理にまで踏み込めているか?研究は続けられるだろう。

 真っ赤な嘘とかホワイト・ライ(white lie)(罪のないうそ)とかいう言葉もある。

 うそつきは泥棒の始まりとも。うそついたら針千本飲ます、とも。
 うそをつくと閻魔大王に舌を抜かれるとも。
 二枚舌とも。
 うそをめぐる言葉や言い伝えは多い。

 さて、賢明な方ならおわかりであろう。

 うそは人間関係において不可避なのである。
 国際関係においてもしかり。

 だとすれば、「嘘」というものをきちんと位置づけ、うその役割や効用、対処の仕方をきちんと整理しておく必要があるのではないだろうか?

 うそをついてはいけないと教えるのはたやすい。

 だが、大人の社会で生き延びるには、「嘘」についての裏表を学ぶ必要がありはしないだろうか?