南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

歴史(価値観の研究=その43)

 価値観には、個人レベルの価値観、グループや地域社会や会社の価値観、国家の価値観など、階層があることは前に述べた。

 では、時間的な経過によって価値観はどのように変化してゆくだろう?

 価値観は人間と同様に生まれ、育ち、死ぬ。「価値観の一生」とでもいえるサイクルがある。

 ここでたいせつなことは、歴史的な視点である。しかも、できるだけ客観的な視点である。
社会科学としての「歴史学」という観点から事実を評価することが肝要である。

 日韓や日中の歴史の共通認識をめざす取り組みがなされている。きわめて重要なことだ。人間にはそして、民族には積年のうらみつらみもある。感情をぶつけるだけではなにも解決しない。

 苦しいが、現実を見る。過去を見る。冷静に。

 そして、一つの判断をくだす。絶対ではない。ひとによって異なりうる判断だ。
 それらの判断をつき合わせて議論する。一致点を確認し、不一致点を整理する。

 こうして、ある時点での歴史認識が整理される。
 このプロセスはある意味で無限に繰り返される。
 終わりがない。結論が出ないこともありうる。

 だが、こういう科学的な姿勢がたいせつだ。

 歴史は、その時代とあとになって振り返るのでは、まったく異なるものに見えるはずだ。

どうしてそんなおろかなことをしたのか?とか
なんでそんなばかげたことを信じたのか?とか

後世の人間がいろいろ批判するのはたやすい。
だが、過去の時点においてどのような社会環境であったか?どのような情報が得られたのか?とかの前提条件を仔細に調べてみれば、やむをえない判断や行為が多いと思われる。

限られた情報と利害関係や力関係のなかで決断は下されてきた。
過去を批判し否定するのは簡単だが、それだけでは真実を明らかにできない。

歴史的な学問的な視点から過去を評価するのが、価値観を常にレビューするため
の第一歩である。