南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

バカロレア(価Ⅱ=4)

 テレビで、フランスの大学入試=バカロレアのことをやっていた。

 文科系のバカロレアでは、哲学の比重が高いそうだ。哲学ってなんだろう?たとえば、「独裁政治家を暗殺することは許されるか?政治と道徳とのかかわりにおいて述べよ」といった問いに記述式で答案を書かなければならないという。社会的な重要な問題について自分の頭で考える力をチェックするのだという。つまり「思考力」を見ようというのだ。

 ふと思ったのは、このブログの『価値観の研究』って、まさに『哲学』じゃないか!ということだった。ぼく自身には、哲学を深く学んだ経験もなく、哲学というものへの理解や関心もそれほど強くもってなかったのだが、自分が追求していたのは、要するに、世間でいうところの『哲学』だったのかといまさらながら気づかされた感じだった。

 日本の大学入試では、そこまで深く思考力を問う試験は含まれていないのではないだろうか?あるいは、最近の大学入試では変化が見られるのだろうか?寡聞にして知らない。

 ぼくの場合は、50代も終わりに近づいてふと思い立って、はじめて基本的な問いかけをして、自分なりの考えをまとめてみたいという気持ちが芽生えた。そして「価値観の研究第一部理論篇」に引き続いて、「価値観の研究第二部各論篇」に着手したところである。

 おもえば、遅すぎる「哲学」的思考への挑戦だったかもしれない。

 しかし、ひとつひとつの論点をレンガを積み重ねるように整理してみると、次第に自分の思想の体系(まさに、価値観)が見えてくるような気がする。

 人間として社会で生きていくにはとても重要なことだとはじめて気がついたような気がする。

 深く広く徹底して考察すること・・・そのことは地味で時間もかかる割りにすぐには結果が出ないし
目に見える実利も手に入らないことだ。だが、ひとりの責任感を持った人間として社会の一員として生きていくためには、きわめて重要なことだと思う。

 『哲学』というと抽象的だが、『人生や社会の重要な問題について、自分の頭で考え、他者と議論することを通じて、思考力を深めるための学問』ととらえればわかりやすい。

 バカロレアという試験方法には、日本人も学ぶものがあると思う。

 そして貧しいながらも、「哲学」的な思考を続けることへの位置づけを明示されたような気がして勇気付けられた思いである。