南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

「価値観外交とはなんだろう?(価Ⅱ=5)

 最近、安倍総理の外交を『価値観外交』と名づけているようだ。マスコミがそう呼び始めたのか、安倍総理のほうで自らそう名づけたのかは知らないが、ちょっとおもしろい呼び方なので気になった。

 なにせ、ぼくは、「価値観の研究」を書き続けている人間だ。とはいえ、安倍さんからぼくにはなんの相談もなかったのは言うまでもない(笑)が、ぼくは今まで「価値観」についてあれこれ考えてきているだけに、普通のひとよりは見る目があるかもしれない。

 「価値観外交」自体は明確な方針があるようなので、とくだんとやかく言うべきこともなさそうに見える。自由、民主主義、人権、表現の自由環境保護といった価値観を共有できる国々との関係を強化しようとすることだといわれている。

 しかし、よく考えてみれば、「価値観」を共有できない国々との関係は疎遠になってもかまわないというおそれもある。「仲良し内閣」という批判があるが、国際的にも「仲良し外交」と批判されるおそれはないだろうか?

 外交において、親しくつきあえる国々(それが付き合いたい国々とイコールなら望ましいしいが)とそうでない国々を区別して時間と金とモノの選択と集中をめざすということは大切だが、親しくつきあえない国々との関係をいかにうまくやれるかということも外交戦略として考えておく必要があるのではないか?

 もちろん、安倍さんは、閣僚やブレインや外務官僚とともにそのへんの戦略はきちんと練り上げてくれていると信じたい。

 ぼくがずっと「価値観の研究」でめざしてきたのは、「異なる価値観の共存共栄に向けて!」ということだ。

 地理的な位置関係や人種や言語や宗教や政治体制や自然環境や歴史や文化やさまざまな要素が複雑にからみあった国際関係をじょうずにやっていくのはきわめて困難なことだと思う。アメリカが悪の枢軸とかテロ支援国家だとか明言している国々もある。

 好きな国、ふつうの国、嫌いな国・・・そういう世界の200ほどの国々との総合的な外交プランが不可欠だと思う。必ずしも国民に公表されている方針だけではないと思うが、「価値観外交」を進めるにあたっては、以上のような点を十分配慮して、偏りのない外交を進めてもらいたいものだ。要すれば、「優先順位をつけるのはかまわないが、切捨ては避けるべきだ。」ということに尽きるだろう。