南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

谷川俊太郎の「絵七日」(すばる10月号)を読む!

 いまさら谷川俊太郎でもないだろうという思いもあるが、やはり、最近の充実ぶりを見ると、やっぱり谷川俊太郎だなあという思いを禁じえない。

 70歳を過ぎてなお進化しつづけているというのはたいへんなことだ。
 おそらく、生きる姿勢がしっかりしているのだろう。
 そして、もちろん 豊かな才能に加えて、弛みない努力をつづけているのだと思う。

 最近では、すばる10月号に掲載された長詩「絵七日」に特に惹かれた。
 
 この作品には、おそらく谷川のさまざまなすぐれた要素がかなり豊富に投入されているのだと思う。

 全文を引用したいところだが、それはさしつかえがあるので、おおよそのストーリーの流れを紹介することとしたい。

 ストーリーは、水曜日、「彼」(おそらく画家)が部屋の中にかけてある絵の中に入り込むところからはじまる。

 最初の連を引用する。

 「煤けた古風な額縁に入っている
 少しかしいで漆喰壁にかかっている
 なんの変哲もない油絵です
 赤土の無人の切り通しに
 陽が照っているんだかいないんだか
 左右から丈高い草が道にうなだれて
 そんな絵の中に気がついたら 水曜日
 彼は入ってしまっていたんです
 よくある話ですが」

  絵の中で彼は、ゴヤの銅版画で見かけた男の子と出会う。

  いつの間にか、木曜日。彼はキャベツ畑で赤ん坊を見つける。
 灰色のシトロエンに乗ってやってきた車から降りてきた
 異国の言葉を話す農婦が赤ん坊を受け取って行ってしまう。

  金曜日。絵の中でもおなかはすくので、彼は街角のダイナーに行く。
 そこではミッキーやドナルドなど漫画の主人公たちが食事をしている。

  土曜日。
 彼は絵の裂け目の向こうに横たわる素裸の女に誘われて
 別の絵に入ってしまう。
 手巻きの蓄音機から流れてくるのはムソルグスキー
 「展覧会の絵」だ。
 〈二人は見られている〉と感じる彼は
 女のかたわらでまどろむ。

  そこへ大きな幽霊船が現れる。
 そのとき彼は短パンだけの老人に袖をひかれた。

  老人は画家だった。
 (老人がそのアトリエで彼に対して言うせりふがおもしろい。)
 「どこの誰かは知らないが
  きみの顔は国家に縛られていない顔だ」
 多くの肖像画がある中で彼はひとりの中年男の肖像画にひきつけられる。
 老画家が彼の顔をクロッキーしつづけるので
 彼は自分の魂が吸い取られそうに感じる。
 
  日曜日。
 その中年男は、違う時代に生きた赤の他人なのに他人とは思えない。
 彼は、その冴えない中年男の心中へ 分厚い絵の具の層を通して
 滲みこむように入ってしまった。
 中年男の背後には眉をしかめた女房とおぼしい女が立っていた。
 「幸不幸をあげつらうのは思い上がり
 時間に身を委ね空間に心を預け
 亀さながらの我が歩み」
 穏やかなマドリガルが遠くに聞こえる。
(この箴言めいた言葉にはなかなか深い洞察があると思う。)

 長大な壁画の中の無名の自分に彼は寛ぐ。
 (このあたりの表現は、無名でない俊太郎だけになんとなくユーモラスな気もするが。)
 だが彼は何百という描かれた顔が険しい顔を向けていることに気づく。
 「出て行け」という声なき声に気圧されて
 彼は突如閉所恐怖症に襲われて走り出す。それは、月曜日。

 やっとカンバスから脱出した彼は元の室内。
 そこには水曜日を駆け抜けた男の子がいる。
 彼はイーゼルを立て木炭で〈その子〉の模写をする。
 その網膜に映った絵は眩しすぎて
 誰にも見ることはできないでしょう。

 そして最後の連となる。

「街角のダイナーのレザーのベンチに
 マフラーを置き忘れてきたことに
 彼はまだ気づいていない
 壁のめくられた日めくりは火曜日
 不燃ゴミを出す日です」

  
 以上が、あらすじとでもいうものだが、この詩について、どういう点が特徴的であるかということをまとめておきたい。


・ 一週間の各曜日と何枚かの絵の中での経験を関係づけたおもしろさは抜群。まさにアイデア賞ものだ。

・七つの曜日ごとにさまざまな人物や場所に出会う。そのイメージの展開
が実におもしろい。

・絵や音楽の教養が詩の世界を豊かにしている。

・ファンタスティックな展開がくりひろげられるのに、浮ついた感じがしない。それは、さまざまな空想的な場面の根底に、現実の生活感覚が裏打ちされているからだと思う。つまり、夫婦とか親子とか友人知人とか他人とかの人間関係においての実感やキャベツ畑、シトロエン液晶テレビ、ゴミだしの日などに見られる現実世界の諸相が、夢物語のような幻想世界に対して、しっかりと錘をつけてリアリティのあるものにしているのだと思う。

・人生への深い洞察をもとにけっこうシリアスなテーマを取り上げながらも、言葉はとれたてのフルーツのように新鮮でみずみずしくて甘さがある。現代口語による自然な語り口はすんなりと詩のなかにはいらせてくれる。

・全体の構成がしっかりしている。ストーリーの展開も、一週間のサイクルも、起承転結という基本的な技術を確認させてくれる。

・ディテールもていねいに仕上げられている。余分なイメージや言葉がない。いちいち納得できるイメージや言葉だけが、推敲の結果として選ばれ、磨き上げられていると思う。

・最近、多くの詩作品において意外と重要視されていないと危惧される「レトリック」というものが、お手本のように駆使されている。すぐれた言語技術を味わうのも詩を読む大きな楽しみのひとつだと思うのだが。

 まだまだ指摘し足りないポイントはたくさんあると思うが、とりあえず、今回はここまでにしておきたいと思う。

「絵七日」はほんとうにすばらしいできばえの詩だとあらためて思う。

 最後に、谷川俊太郎が今後ますますすてきな詩を書き続けてくれることを祈りたいと思う。