南原充士『続・越落の園』

文学のデパート

人物の評価=その2(価Ⅱ=34)

 人物の評価ということの重要性のわりには、その評価法が学問的に確立していないことがひとつの問題だと前回指摘したところであるが、試みに、自分の経験からどのような点に留意したらよいかどうかというケーススタディからはじめてみたい。

 人物評伝としては、多くの伝記や偉人伝などがあるが、そういうものをどう読むべきかという視点も考えておく必要があるだろう。

 自分の個人的な経験で、小泉元首相のことを比較的よく知っているので、小泉純一郎(敬称略)のことをとりあげてみたい。

 ぼくは、小泉に直接会ったこともなく、交友関係もない。マスコミを通して得た情報が基本である。
 それに加えて、小泉に接することがあったひとが知人にいるので、周辺情報が若干はある。
 さらに、かつて行政にかかわったことがあるので、それらの情報を自分の経験から判断しやすいということはある。

 以上のような情報を総合的に判断したときに、小泉をどう評価すべきか?

 小泉内閣の功罪ということが今でも話題になる。

 きわめておおざっぱな整理をすれば、小泉の政策のポイントは、

 ・改革重視、聖域ない改革、過去にこだわらない。

 ・官から民へ。(郵政民営化など。)

 ・日米関係を重視。

 ・国民世論重視、直接国民に訴える、自民党の派閥政治から脱却。

 ・財政赤字の削減

 ・靖国参拝

  私見では、それまでの密室政治をオープンにしたことが最大の功績だと思う。

  改革はそれまでの内閣でも続けられてきたが、ここまで徹底してやれたひとはいない。

  民営化にこだわったのは、政治的な誇張だという気もする。官の役割を否定するつもりではなかったはずだ。

  閣僚や自民党役員人事も派閥の領袖に相談しないで決めたらしい。初めての総理・総裁だったのではないか。

  靖国参拝は、選挙公約に掲げたので引くに引けなかったのだろう。中国・韓国との関係で大きくつまづくもととなってしまった。

  総括すれば、「偉大なる改革派だったが、外交では減点あり。」ということだろう。

  小泉のプライベートな面はどうか?

  音楽ファンだったことは有名。エッセイ集も音楽遍歴と題している。プレスリー、Xジャパン、ラマンチャの男、クラシックなど。

  長男が俳優。次男が、政治家としての後継者。離婚経験あり。

  そのほかのことはよく知らない。あの世代としては、ライオンみたいなヘアースタイルがかっこいいし、おしゃれのセンスもいいと思う。

  総じて、小泉に暗いうわさはあまりないようだが、そのへんはぼくがあずかり知らないことがあるかもしれない。

  おおよそ以上が、ぼくが見た小泉純一郎像だ。

  評価の手法という観点から考えるとどうなるだろうか?

 同時代人として、テレビで顔も声もよく見聞きしているから、外見の情報は十分だ。

 発言もマスコミやブログでかなり入手可能だ。

 総理を5年5ヶ月も務めたので、政治家として有能だったと言える。

 追い詰められて総理を退陣したのではない。

 そのへんのことは、客観的に評価できる。

 では、小泉の本音はどうだったか?と言えば、それは簡単には推測できない。

 おそらく、中国と韓国との関係は内心忸怩たるものがあったと推察しているが、小泉自身がどう思っているのかはよくわからない。

 つまり、政治家にも建前と本音があり、戦略的な配慮もある。常に率直に本音を語ることはありえない。

 そこに、客観的に評価しやすい部分と推測しかできない部分とがあると思う。

 今生存中の人物ですら、そのように謎の部分がある。

 ましてや、過去の人物には情報が少ないだけ判断しづらい部分が多々ある。

 ということは、たとえば、聖徳太子の業績や人物像を描き、評価をするには、それだけ多くの推論をする必要が増すことになる。

 そのための資料の収集や吟味そして洞察力や想像力がなければすぐれた歴史家にも伝記作家にもなれないだろう。

 人物の評価には、情報力と洞察力と想像力が必要だと言えるのではないか?