人物の評価の難しさは、前述のように、情報の制約や評価の主観性という制約によるものであるが、それは結局は、評者による同一人物評価の多様性につながる。
たとえば、入社試験の面接の場合、役員、部長、課長、担当者などの間で評価は別れうるだろう。
社内の昇進についても、人事にかかわる役員や社員の評価は必ずしも一致しないだろう。
このような場合は、通例、決定のルールが決まっているので、それによって問題なく決定できる。
しかし、家族や友人知人などの間では、統一的な評価基準はないし、そのような必要もないのだろう。
恋愛・結婚・出産・成長・老化・病気・けが・離婚・死別などの段階がある。
それぞれの段階で、さまざまな人物評価はなされるが、必ずしも、決定はなされないまま、事態は進行する。あいまいな人物評価が複数存在したまま人生が終わるわけである。
多くの民衆は、その人物像や評価は歴史に登場しない。しかし、それらの無名の民衆の人物評価が集団として、地域や社会に影響を及ぼすことはまちがいない。
したがって、権力者の場合のように、資料や伝記がそろっていなくても、ある時代の人物評価についての一般的な見方を支えていた有力な勢力として群衆をとらえる必要はあるかもしれない。